
早朝7時。
直江津港にて、佐渡の小木港へと向かうフェリーに乗船。
岸壁を離れた船上で、カモメとしばし遊んだ。
August 01
佐渡に到着後、島の西北にある長手岬へ移動し、テントを張った。
ここが今回のロケ(遊び?)のベースキャンプ。
海に面した茶屋をのぞき、店番のおじさんに話し掛けると、開口一番「暇だ」との声が返ってきた。
なんでも新潟県中越沖地震後、予約のキャンセルが相次ぎ、客足がぱったり止まってしまったのだという。
そのため一年で最も混み合う時期にも関わらず、ほとんどぼくらの貸し切り状態。
近くのホテルも同じような状況で、風評被害による深刻な問題が起きていることを知った。
テントを張り終えた後、カヤックで海に漕ぎ出してみた。
まるでシルクの上を漂っているような、穏やかな海原がどこまでも広がっていた。
August 01
日本海を一望するキャンプ地にて、水平線に沈む夕日を眺めた。
泳ぎ疲れた身体に、海を渡る風が心地よかった。
一番星が空に浮かび、月が顔をのぞかせた。
時間はたっぷりとある。
静かな波の音を聞きながら、今日一日のことを語り合った。
August 01
August 02
今日もよく遊んだ。
雑魚党の面々が各自捕まえた魚を食材にして、蜂須賀公之さんが寿司を握ってくれた。
これらの様子は、9月10日発売の「BE-PAL・10月号」をご覧ください。
August 02
August 02
佐渡最終日。
午前中ですべての取材が終わり、午後は佐渡を流れる某河川にて「川ガキ」になって遊んだ。
水はどこまでも清冽で、目の前を横切るのは鮎やヤマメ、イワナなど。
雑魚党の本領発揮というべきか、次々と獲物が捕まえられ、そのたびに歓声があがった。
その姿はまるで子どもそのもの。
ぼくも今年初めての「玉シャクリ」を行い、鮎を数匹ゲット。
今回のロケは海遊びがメインだったけれど、やっぱりみんな川が好きなんだなぁ。
August 03
楽しかった川遊びも、帰りのフェリーの関係で終了。
心配された台風も速度が遅いことが幸いして、青空の下でロケを終えることができた。
夕方になると雲が広がり、海原が鈍く光った。
近くて楽しい佐渡の魅力を再認識し、後ろ髪をひかれつつ、直江津港へ渡った。
August 03
佐渡でのロケを終えて、4日ぶりに帰宅。
August 04
August 05
製作依頼していたアクセサリーが完成したと連絡を受け、成田の「プルーフ」へ出かけた。
今回依頼したのは、水中でも脱着可能なアングルファインダー。
通常の横撮影だけでなく、縦カットでも使用可能なのが特徴。
このアングルファインダーを水中ハウジングに装着すると、水中眼鏡を使用しなくても半水面写真を撮ることができるのだ。
これで表現の幅が広がるといいけれど…。
夏は始まったばかり。
今夏はこいつを使って、良い写真を撮りまくるぞ。。
August 06
成田からの帰り、印旛沼のほとりに車を停め、暮れゆく空を眺めた。
稲穂が風になびき、ヒグラシの鳴き声がこだまする。
ただ、そこにある日常の風景。
失われて初めて気付く、大切なもの。
まわりを覆いつつある闇の深さに、自分を見失うことなく向き合ってみる。
August 06
August 07
August 08
出発当日となって、ゴムカヌーに穴が空いていたことを思い出した。
慌ててバックからカヌーを取り出し、修理を行った。
これでたぶん大丈夫。
キャビンに替えの服や下着、遊び道具や撮影機材を積み込み、準備万端。
いざ、四国へ。
August 09
昨夜は22時に自宅を出発。
本当は今日の早い時間に徳島へ到着することを考えていたけれど、SAに寄り道ばかりしていたら、浜名湖を過ぎたあたりで夜が明けてしまった。
こういうムードになると、一気にダラけてしまうのが悪い癖で、いまだ滋賀県の多賀SA。
東名や名神の各SAでは、無線LANサービスである「FREE SPOT」が設置され、ありがたいことにネット接続ができる。
これは移動人間にとって、本当に嬉しいサービス。
ぜひ東日本や西日本のロードサービスも、中日本エクシス株式会社に見習って、無線LANサービスを始めてもらいところ。
ということで、たまった日記の更新をしつつ、名阪・京都〜吹田間の事故渋滞が解消されるのを待っています。
August 10
昨夜23時過ぎに徳島市内へ到着。
吉野川の河川敷に車を停め、その晩はおとなしく就寝。
午前中に「川の全国シンポ」会場へ移動し、シンポが始まるまで会場で親しい顔をみつけては近況の交換をした。
シンポを拝聴。
August 11
2日間で延べ1400人が参加した全国シンポも、無事に終了。
こういったシンポには珍しく、若い参加者も多く、それがとても嬉しかった。
そしてまた「川の学校」の卒業生たちがスタッフTシャツを着て会場運営を手伝っている姿に、シンポの内容以上にとても勇気づけられた。
すべての川が「清く豊かに流れる川」であるために、目の前を流れる川だけでなく、どこか遠い場所を流れる川や未来を流れる川までも、忘れずにいることを強く感じた2日間だった。
August 12
シンポ終了後、友人たちと吉野川の第十堰に移動した。
今夜も昨夜に引き続き、ここでキャンプ。
夜の阿波踊りまで時間があったので、靴をサンダルに履き替え、越流する第十堰の上を歩き回った。
第十堰のちょうどまん中、陽光に反射する吉野川のなかに身を置くと、とても不思議な気がした。
瀬音が耳に心地よく、川に浮かんでいるような、そんな感じ。
光る水面と水飛沫。
第十堰に腰掛けて下半身を川に浸し、強い日差しに焦がされた身体を冷やした。
カヌーに興じる人たちの歓声が遠くに聞こえ、ぼくの姿に驚いた小魚たちが慌てふためいて泳ぎ過ぎていった。
August 12
阿波踊り初日。
徳島市内は踊りを観る人と演じる人たちの喧噪で、すごい賑わい。
強い西日が出番を待つ踊り子を照らし、蝉しぐれをかき消すように街角のあちこちで太鼓や鐘の音が鳴り響いていた。
ぼくも吉野川と阿波踊りが好きな人たちによる「吉野川連」に混ぜていただき、今年も阿波踊りを堪能した。
17時過ぎに「鷲の門」に集合し、その後いくつかの演舞場を踊り歩き、そのあいだの道々でも踊り、ビールを飲み、笑い合った。
21時過ぎ、すべての予定が終了し、今夏はこの日だけの「吉野川連」は解散。
踊り足りないような、不思議な高揚感のなか、合い言葉のように「またね〜」と声を掛け合い、人混みを後にした。
「吉野川連」の皆様、どうもありがとうございました。
August 12
吉野川の第十堰で朝を迎え、昼過ぎに友人たちと日和佐川へ向かった。
途中、晩飯にシジミの味噌汁を食べようと思い立ち、干潮時を狙って吉野川河口に立ち寄った。
みんなで手分けしてシジミを掘るも、予想していた量も採れないのが意外だった。
以前は、ここ掘れワンワン状態で、ひとりが30分掘るだけで家族4人分の味噌汁分が採れたのに。
あとで聞くと、なんでも4年前に来襲した台風によって川底の様子が変わり、その後シジミが激減したという。
台風による増水で上流から運ばれてきた大量の土砂が、それまで砂地だった川底に堆積したことが影響として大きいとのことだった。
たしかに15cmほど掘ると黒く硫化したヘドロのような層にぶちあたり、柔らかい印象だった川底が堅く締まっていたのが気になった。
それでも一時に比べ、だいぶ復活してきたとのことで、ちょっと安心した。
写真は石井さん提供の日和佐川キャンプ地の様子。
August 13
耳元で水音を聞きながら、うたた寝。
強い日差しに照りつけられては、川の流れで身体を冷やし、そうやっていつまでも寝転がっていた。
夕刻、野田さんがやってきて、焚火の前でハモニカを吹いた。
写真は昨日に引き続き、石井さん提供。
August 14
朝方、それぞれの目的地へ出かける友人たちを見送り、キャンプ地にいるのはぼくひとりだけになった。
さて、これからがぼくの本番。夏の始まり。
ひとりになった身軽さで日和佐川を撮影して回った後、誰もいない河原で身体を洗おうと思ったのが、いまになって思えば間違いだったかもしれない。
いや、ぼくがしっかりしていればなんの問題もなかったけど。
たぶん、注意力不足。
いつものことなので自分自身呆れてしまうけど、ここでコンパクトデジカメをたぶん紛失。
カメラを無くしたこともショックだけど、それよりもこの数日間に撮影したデータを失ったことのほうがズシンときた。
でも、無くしたモノのことをいつまでも引きずって後悔しても仕方ない。
潔く忘れたほうが、精神衛生上好ましいではないか。と、自分で自分を慰めた。
野田宅でコーヒーを飲んだ後、日和佐川に別れを告げて、すっかり見慣れた国道55線を西へ向かった。
August 15

August 15
昨夜は高知空港に近い物部川の河川敷へ車を停め、就寝。
たっぷり寝た後、空港でリンさんコマさん、そして「川の学校」卒業生のサトシと合流し、仁淀川上流へ。
少年たちと釣りをし、のんびりとした一日を過ごす。
August 16
仁淀川でサトシと別れ、講師のリンさんコマさんと「川の学校・2回目」開校地である高知県本山町へ向かった。
先月は台風来襲のために中止となったため、子どもたちとは2カ月振りの再会。
早速現地へ到着した子どもたちが、待ち切れないとばかりに川へ飛び込んでいった。
今日からの3日間は、忙しくも楽しい日々になりそうだ。
August 17
初日の夕食は、子どもたちに人気の野菜カレー。
もちろんぼくも大好きなメニュー。
身体全体で目一杯遊んだ子どもたちは、夕食の合図前に食器片手にウロウロ歩き回り、待ち切れない様子。
もくもくと食べる子がいれば、友だちと楽しそうに食事する子、のんびり食べる子がいて、食事の光景だけでも見ていて飽きることがない。
明日も目一杯遊ぼうね。
August 17
今日は川遊びの前に全員で早明浦ダムへ移動し、地元の方の話を伺った。
午前中にもかかわらず、外はすでに30度以上の暑さ。
今と過去とが混ざり合いながら語られ、子どもにはちと退屈かもしれないとは思ったものの、ぼく自身はとても有意義な内容だった。
湖面に沈んだ故郷について語るときや、ダムが出来る以前の川のことを話すときは、それまでの表情と違って活き活きとした面持ちで話されていたのが印象的だった。
いわく「昔(ダム完成以前)は、川に鮎がきたないほど(覆いつくすほど)いた」と話し終わると、きっとその情景が頭に思い出され顔がほころんでしまうんだろうな。
また「自分が慣れ親しんだ川で採った魚じゃないと、なんか美味い気がしない」や「やっぱり最後には自分の川へ行きたくなる」「でも、もう故郷は戻らない」という言葉には、胸が熱くなった。
失ったものは、そう簡単に元には戻らないし、戻せない。
だから失う前に、よく考えることが大切なんだ。
失うだけの価値があるものなのかを。
August 18
日没後は河原に座って、講師の話をだまって聞く夜話の時間。
今夜は姫野さんが子どもたちにわかりやすい言葉で、川について、川の学校について語りかけた。
神妙に聞く子がいれば、最初から最後まで足元に目を落としている子、あくびを堪えている子も。
でも、ひとはみんな違う。
想いの受け止め方や届き方も、ひとそれぞれ。
話された内容やすべての体験を事細かく覚える必要はなく、なにかの折りにふとそうだったのかと思い出してもらえればいいんじゃないかな。
August 18
楽しかった時間はあっという間に過ぎてしまい、今日は最終日。
夜更かしをして寝坊する子がいれば、遊び足りなくて5時前に起き出す子もいるのが「川の学校」。
そんな子どもに口では文句をいっても、子どもがやりたいことをちゃんと理解してサポートするスタッフがいるのが、この学校の素晴らしいところだと思っている。
August 19
昼過ぎに子どもたちは後ろ髪を思いっきり引かれながら帰っていった。
この3日間は天気にも恵まれ、子どもたちの歓声が絶えることなかった。
大人のぼくでさえ充実とした日々だったのだから、子どもたちにとっては忘れられない体験になったのだろうな。
生まれて初めて釣りをした女の子が、自分の手のひらよりも大きい魚を釣り上げた際、喜ぶよりも戸惑っていたのがおかしかった。
釣りキチ、ひとり誕生の瞬間かな。
August 19
今日は休日と決め、9時過ぎまで眠りこけた。
その後、清冽な流れの吉野川支流で汗を流し、文庫本を相手にのんびりとした時間を過ごした。
ひとしきり降った夕立後の空気が気持ちいい。
August 20
高知県本山町から地蔵寺川に沿って国道439号線を走り、再び郷ノ峰トンネルを潜って仁淀川へ移動。
だけど、まったく「川ガキ」を見つけることができなくて、途方に暮れた。
しつこいぐらいに川沿いに車を走らせるも、ガソリンだけが景気よく無くなっていく感じ。
こんなときはつい弱気になり、ガソリンと距離と財布の中身ばかり頭に浮かんで仕方ない。
貧乏臭いけど「あー、いまの寄り道で145円のロス」とかね。
August 21
青い空を川面に映し、ゆったりと流れる仁淀川。
澄んだ流れに、岩を食む鮎の姿。
蝉しぐれが林間にこだまし、容赦ない日差しが肌を焼いた。
盛夏まっただなか。
August 21
仁淀川の河原に車を停めて、昨夜は就寝。
携帯コンロでお湯を沸かし、川を眺めながらコーヒーを飲んだ。
川で顔を洗い、ヒゲを剃り、歯を磨き、河原を後にした。
ぼくのようにアチコチ出かける身にとっては、いまの車は本当に便利。
単純に宿代が掛からないということもあるけれど、ぼくが出かけるところは宿がないところも多く、また宿があったとしてもそこまでの移動や宿探しをする手間も省けるので、正直助かっている。
こう毎晩野外での宿泊が続くと、そのたびにテントを張るのも億劫だろうし、キャンピングカーにして正解だったなと思う。
August 22
今日は数日前に出会った「川ガキ」のお宅を伺い、川で遊ぶ様子を撮影させていただいた。
途中、遠くで雷鳴が轟き、水の匂いを含んだ風が吹いたと思ったら、土砂降り。
子どもたちは突然の夕立に戸惑いつつも、大喜び。
おかげで良い写真が撮れた。夕立に感謝。
August 22
昨日のうちに仁淀川から四万十川上流へ移動し、昨夜は窪川に近いところで就寝。
朝靄に包まれる川面を眺め、大きく深呼吸をした。
気持ちのよい一日のはじまり。
August 23
見下ろす四万十川は、水量が少ないわりには透明度がそこそこ良かった。
といっても、3メートルぐらいの深さで川底がやっと見えるくらい。
昨夏よりもだいぶマシに見えるけど、実際はどうなんだろう。
今月上旬に来襲した台風5号以降、まとまった雨が降っていないという。
コケがびっしりと生えた川を歩いたけれど、気をつけないと転倒しそうなほどヌルヌル状態だった。
August 23
中津川で「玉シャクリ」を堪能した後、昨夏にいろいろお世話になったSさん宅へ向かった。
夕食をご馳走になり、Sさんと川の話で盛り上がっていると、時計の針は22時を指し、子どもたちはお寝んねの時間に。
蚊帳へ入って、お母さんに絵本を読んでもらい、夢の世界へ。
なんかいいなぁ。
August 23
昨夜は遅くまでSさん宅でくつろいだ後、口屋内へ移動。
見上げる空は真っ青で、夏の日差しに溢れてた。
August 24
August 24
江川崎の雑貨屋で鰻鋏を購入し、再びSさん宅へ出かけた。
今夜はSさんと鰻を捕るぞと張り切るものの、少し不安。
Sさんの帰宅を待つ間、元気な子どもたちに相手をしてもらい、楽しい時間を過ごした。
August 24
August 25
この日、昨夏に引き続き、四万十川支流にあるS小学校の川遊びを撮影させていただいた。
2年目とあって、生徒だけでなくお父さんやお母さん、先生方とも顔なじみとなり、和気あいあいと撮影することができました。
川遊びの後は、みんなで料理したカレーを美味しくいただいた。
今年の全校生徒は11人。
August 26
August 27
夕立があがり、川舟が浮かぶ川岸へ向かった。
雨に濡れた河原はひんやりとした空気が漂い、火照った身体に心地よかった。
川岸には3艘の川舟が繋がれ、漁の準備が始まったところだった。
日没後、口屋内集落で今季初めてとなる火振り漁が行われるのだ。
網の手入れが行われ、火振りの光源に使用するバッテリーが舟に乗せられていった。
太陽はすっかり山の向こうへ姿を消し、かわりに現れた霞が山肌を覆っていった。
闇が深まるにつれ、ヒグラシの鳴き声も少なくなっていった。
August 27
闇に覆われる少し前、ひとりが親となって「くじ引き」が行われた。
用意された小石は全部で6つ。
石の裏にはチョークで1から3までの数字が2つずつ記されていた。
親をのぞく舟主が、上手と下手に分けられた固まりから小石をひとつずつ選び、この日の刺網を入れる場所を決めるのだ。
刺網を入れる場所によってその日獲れる鮎の量に違いがあるため、口屋内集落ではこれまでずっとこのやり方で火振り漁を続けてきたという。
火振り漁を行うにあたっても仲間内の話し合いで決められ、漁をする際は「集落」として行い、口屋内集落ではひとりで勝手にする漁ではないとのことだった。
昔は火振り漁をするとなると10艘以上も川舟が集まり、それはそれは賑やかだったという。
August 27
空を見上げると、夕立を降らせた雲は姿を消し、星が輝き始めていた。
闇が川面を覆うと、いよいよ漁のはじまり。
川舟は川岸を離れ、ゆっくりと流れに乗った。
河原の草むらから響いてくる虫の音に、櫓に触れる水音が混ざりあう。
漁場へ到着すると上下流に30mほどのあいだを開けて並び、それぞれ声を掛け合い、同じような速さで右岸から刺網を入れていった。
使用する刺網の長さは50mほどで、3つの網を繋いでいるという。
1カ所の漁場につき、2枚の刺網を使用。
この日は3艘だったので、流れを横断する形で、6枚の網が川のなかへ入れられていった。
すべての網を入れ終えた川舟は下流に移動し、これからが本番。
舟の舳先とまん中に取り付けられた電球に灯りをともし、竹竿で水面を叩き、川舟はなるべく鮎を驚かせながら上流へと向かい、最上流にある刺網まで漕ぎ進んで行った。
網を仕掛けるのは各自の仕事だけれども、鮎を追うのは共同作業。
行く手を塞ぐように何枚も刺網を仕掛けた後、光と音で鮎を驚かせ、鮎を捕らえていくのが火振り漁なのだ。
同じ四万十川本流でも、土佐大正などでは現在も松明を使用して火振り漁を行ってはいるが、口屋内では10年と少し前から電気の照明に切り替えたという。
漁が中盤にさしかかるころ、東の山からまんまるの月が顔をのぞせた。
August 27
この日は、2カ所の淵で火振り漁が行われた。
網にかかった魚を見せていただくと、一般的には海水魚と言われている魚種も獲れていた。
この日獲れたスズキやシマイサキ以外にも、ギンガメアジや黒鯛も刺網にかかるときがあるという。
ちなみに漁が行われた場所は、河口からおよそ34km上流。
スズキは更に上流へ上ることもあり、ちょうど先日、河口から52km上流にある長生沈下橋で獲らえられた50cmのスズキを見たばかり。
淡水魚では、鮎のほかにウグイやカマツカなどが獲れていた。
August 27
今朝は5時頃に目覚め、少しずつ明るくなっていく空を眺め楽しんだ。
ススキが似合う涼しい風を身体に受け、夏が終わったことを知った。
ここらへんが潮時かな。
そう思い、今夜四万十川を離れ、自宅へ戻ることを決めた。
August 28
August 28
民宿「せんば」で晩飯をご馳走になり、子どもたちが寝室へ向かったのを見届けて、口屋内を後にした。
空に浮かぶのは、まんまるの月。
昼間に見当をつけていた場所を転々と移動しながら、月明かりに照らされる四万十川の撮影を行った。
鹿の鳴き声が夏の終わりを告げていた。
August 28
昨夜は明け方近くまで撮影を続け、土佐大正の河原で就寝。
昼近くまで眠った後、再び中津川へ鮎を釣りに出かけ、汗を流した。
2時間ほど身体を水に濡らして竿を振り、釣果は7匹。
でも心身ともに満足することができ、一路東京を目指した。
August 29
夕立ではなく、まとまった雨を浴びるのは1カ月以上ぶりのこと。
水に煙る名神・東名をのんびりと走り、横浜青葉ICで高速を降りたときには、すっかり日が暮れていた。
途中、実家へ寄って、昨日釣り上げた鮎を届けたりして、帰宅したのは22時過ぎ。
トリップメーターを見ると、約3000kmの旅だった。
August 30
August 31
July 2007-September 2007
