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昔からずっとそう。
子どものときから変わらない性格。
嫌になっちゃうほどに。

昔だったら、試験間際。
いまだったら原稿の〆切り前。
そんなときほど、本に惹かれ、映画などを見てしまいたくなる。
忙しくなればなるほど。

で、その結果はというと、本来しなければいけないことが疎かになり、きまって後で後悔。
そう。毎回。

で、お薦めの文庫本を紹介。

角川文庫の新刊「疾走(上下)
著者は、これまで少年を取り巻く社会を多く取り上げてきた重松清氏。

昨日、書店で何気なく「上」を購入。
そして作品の世界に引き込まれ、一気に読んでしまった。
少年たちの心の動きがとても丁寧に描かれた小説。

今日、「下」を購入したけれど、この先の展開がまったくわからない。
怖いような、知りたいような、そんな感じ。
お薦めです。

June 01 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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国土交通省 殿

私は五木村田口に住む尾方茂です。
これまで私は、国との間で、権利や移転についての協議を行なってきました。しかし、私の農地に関する希望や、現在の生活において不安に思うことについては、ずっと解決されないままになっています。そのため、私の希望や気持ちを整理して一度伝えるため、本日こうして訪問しました。
解決して下さるよう、どうぞよろしくお願い致します。

川辺川ダム計画ができて、39年の月日が過ぎようとしていますが、毎日の生活の中で、ダム問題は常に私の心の中にあります。「どうなるのだろうか、ダムはできるのだろうか、できないのだろうか」という、不安が長い間あります。
できることなら、私が先祖からうけついできた家や田畑は、このままにしていてほしいと思っています。土地は簡単に売り買いするものではないと、小さいころから教えられてきました。人に迷惑にならない限り、今のままの生活が一番いいと思っています。

わたしが先祖から譲り受けた財産は、わずかなものであるがゆえに、大切に思っています。代替地造成のために5反の農地を手ばなした今、いっそう強く、そう思います。代わりの農地を造成して、早く配分してほしいと思っています。
今の代替地には農地がなく、生活していけるのだろうかと不安に思います。農地のない代替地へ移って、百姓はどうやって生活すればいいのですか。生活の見通しが立たない場所へ移りたくないと思っています。ここなら金が少々なくても、水もお茶も畑もすべてあります。ぜいたくをしない、今の生活が私には一番あっていると思います。

国交省は、新しく人が変わると、あいさつしに来られることがあります。そのたびに、私はまた始めから説明しなければならない。「話は前の担当者から引きついでいる」と言うが、本当に引きついでほしいことが伝わっているのだろうか、というふうにも思います。

国交省が今までに何をしてきたか。行政職員は、住民のために仕事をするのが本来の仕事である。それが、飲み水に使っていた貯水槽を壊してしまったり、裏山の木を切ってしまったり、田口溝ノ口水道の管理をしてやると言いながら、土砂で埋まったままにしていたり、墓地にあった、私の父親が植えた桜の木を全部切ってしまったり。やっていることは、本当に住民第一と言えるのか、分からない。
私に限ったことではない。村に対してもそうではないのだろうか、というふうにも思います。

代替農地についても同じことである。代替農地を造成する時に、私は5反の農地を手ばなした。平成8年ごろだった。田や畑の一枚一枚に、さまざまな思い出があった。調印するとき、国が強引なやり方をしたことを、私はよく覚えています。建設省の職員が私から印かんを借り、そのまま押してしまった。私がその書類を見ようとしても、「見ることはいらん」と、見せてもらえなかった。あまりにひどいやり方なので、腹が立って、県の人に言ったところが、「どうにかしてやる」と言って、農地を造成したあとの配分のことについての覚え書きを作ってくれた。農地が造成されたら、5反分を私に売ってくれるという内容だった。
今では、覚え書で、期限を区切っておれば良かった、という後悔の気持ちもある。いまだに、それがいつのことになるのか、分からないのだから。

ダムができるかできないか、はっきりと分からないうちは、できれば、まだ移転をしたくないというふうに思っています。
ダムを作ることがはっきりと決まれば、仕方ないと思います。どうしても移転をしなければならないのであれば、農地については、お金による補償ではなく、別の農地と交換してほしいと思っています。場所は、今と同じように、自宅から近いところでなければならないと思います。
先日の協議のとき、白坂課長はいろいろなことを話しました。「新しい農地でも作物が作れるように、下の農地の表土を持っていくことを考えている」とか、「今の代替地にある空き地を試験耕作させることも考えている」とか、「完成した代替農地から先に、配分していくことも考えている」とか、いろいろ言われたが、何ひとつ、確実なことはないではないか。私との約束がいつ守られるのか、具体的な時期や場所、広さ、どのようなやり方でやるのかを、きちんと教えてほしいと思っています。

今年4月に、裏山の立ち木が全部切られてしまいましたが、私の家は山のすぐ下にあり、山のなかばあたりには、私が飲み水や生活水として使っている水路、田口溝ノ口水道があります。先日、木がなくなったために土砂が流れ、かかえきれないくらい大きな石が、水路に落ちていました。人を呼んで手伝ってもらって、やっと取りのぞくことができました。これから梅雨や台風が来ると、石や木が流れて落ちてくるのではないかと不安な気持ちを持っています。
ダムができるかできないか分からないうちは、できたら、水没地の木などはそのままにしておいてほしいと思っています。
生活権をおびやかさないでいてほしいと思います。

年をとり、私は目がだんだん見えなくなってきています。私はもうすぐ78歳になります。これから先を考えると、残っている時間は長くはありません。私はこの場所で死んでもよいと思っています。「ダムはできるのだろうか、できないのだろうか、私の将来の生活はどうなるだろうか」と、ずっと考えてきましたが、できたら、残りの時間は、不安のない、おだやかな生活を送りたいとも思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

平成17年5月23日
尾方 茂 
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上記文書は熊本県五木村に暮らす尾方茂さんが書かれたものです。
尾方さんは妻のチユキさんと、川辺川ダム完成後は水没する予定の集落に、いまも暮らしています。

川辺川にダムが計画され、五木村は大きく変化していきました。
かつては村の中心地として栄えた集落も、いまではほとんどの家屋が取り壊され、雑草が寂しく茂る土地が広がっています。
それでも尾方さんは山の上に造成された代替地や他所へ移り住むことなく、山から水をひき、カマドを使い、田を耕し、作物を育て、四季に暮らしを合わせたこれまでと変わらぬ自給自足の生活を続けています。
先祖代々にわたって300年以上、この土地で生活できたのも「土」があったからだと、尾方さんは思っています。

新しい住宅が建ち並ぶ高台の代替地は、尾方さんたちが提供した農地の上に造られました。
肥えた土を埋め立てる造成工事の前、尾方さんはいてもたってもいられず、畑の土を袋へ詰めて持ち帰り、村内の寺で供養してもらったといいます。
そのときの土は、いまも大事に保存されています。
土は将来、造成されるという代替農地へ撒くんだそうです。
しかし、その目処はいまも立っていません。

昨年、尾方さんの自宅は、国交省によって強制収用申請が出されました。

ダムがでけんなら、そっちがよか。
ずっとここで暮らしたかですから。

二年前の冬、柚子が転がる自宅の裏山に腰掛け、尾方がぽつりと言った言葉です。

球磨川最大の支流である川辺川は、本流よりも清らかな水がとうとうと流れています。
この川にダムはいらない、ぼくもそう思います。

June 02 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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札幌から車を走らせ、紋別へ向かった。
夕方、紋別に到着し、港からオホーツクの海を眺めた。
冷たい海風に、北にいることを実感した。

June 03 | Comments(2) | TrackBacks(0)

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June 04 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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紋別での仕事を終えた後、下川町でボランティアのネイチャーガイドをしている宮田さんに案内していただき、サンル川を見てまわった。

下川町を流れるサンル川は、天塩川最大の支流である名寄川のさらに支流。
流域に人家はなく、幾本ものか細い流れを束ねながら、どこまでも清冽な流れが名寄川合流点まで続く。

9月中旬頃はサンル川の至るところで、サクラマスの産卵行動を見ることが出来るという。

北海道で流路延長200kmを超える河川は、天塩川と石狩川の2本。
ちなみに上記河川を除き、100kmを超える河川は7本。
自然豊かな北海道にあっても、サクラマスが河口から100km以上遡上し、産卵を行っている場所は珍しいという。
ダムや砂防ダムが川のつながりを断ち、魚たちの往く手を塞いでいることが原因のひとつに考えられている。
天塩川河口から200km近くあっても、サンル川では毎年、膨大な数のサクラマスが遡上するという。

婚姻色に染まったサクラマスの雌が尻びれを使って川底の砂利を掘り、その雌を巡って雄同士が争う。
長い旅をし、産卵を行い、命を終えるサクラマス。

一度、その姿を間近で見てみたいと思う。

現在、サンル川では「サンルダム建設」が進められている。
本当に必要な計画なのか疑問点が多いこのダム計画については、いずれちゃんと向き合いたいと考えている。
とりあえず、以下のサイトをご覧ください。

サンル川を守る会

June 04 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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昨日は夜10時に名寄のホテルにチェックインし、一日が終わった。
資料を読んでおこう、大浴場にも入っておこうと思ったものの、ちょっとのつもりで横になったベットの上で、ぐっすり眠り込んでしまったのだった。

女性の笑い声が聞こえ、目が覚めた。ような気がした。
時計の針を見ると、午前2時を指していた。
ジャケットを着たままの状態で、布団を掛けずにぼくは寝ていた。
笑い声は夢だったのだろうか。

と、ぼんやりとした頭で考えていると、壁から男女の嬌声が聞こえてきた。
嬌声はしだいに、ベットのスプリングが軋む音へとかわった。

なんだそういうことか。
幽霊でも出たのかと思ったじゃないか。

その後しばらく嬌声と軋み音が交互に続いた。
時計の針は午前3時半。
すっかり目が覚めてしまっていた。

June 05 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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名寄から札幌へと戻る途中、旭川にある旭川市旭山動物園へ寄った。
日本最北端にある旭山動物園は、全国各地にある市民動物園的な規模にもかかわず、昨年は来園者が100万人を超えるなど、道内だけでなく全国的に注目を集めてところ。
その理由が知りたくて、機会があれば行ってみたいと思っていただけに、この日は朝から期待で胸を膨らませていた。

正面ゲートからスタートし、各展示を見てまわる。
そして昨年6月に完成したばかりの「あざらし館」へ入ってみた。
この館の一番の人気は、ゴマフアザラシが泳ぐ展示プールとつながっている「マリンウェイ」と名付けられた円柱水槽。
幾十もの人垣が円柱水槽を取り囲み、好奇心旺盛なアザラシたちが円柱水槽を上から下へ、下から上へ通り抜けるたびに、館内いっぱいに歓声があがていた。
「以外と大きいんだねー」という声、「目があっちゃったよ」とささやき合うカップル、「わーーー」と喜ぶ子どもたち。
みんなたのしそう。

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オラウータン舎の前で、足がとまった。
円形の空中放飼場と飼育場とをつなぐ、高さ17mの渡し回廊を渡っていくオラウータン親子を見たのだ。
歓声をあげる来園者などおかまいなしに、余裕のしぐさで回廊を渡るオラウータン。
母親の身体にしっかりと捕まる子どものオラウータンの姿も見えた。

「あんなすごいことが出来るんだね」

近くにいた子どもが、興奮した声で母親に話し掛けていた。

このような展示は「行動展示」というらしい。
動物が野生化で見せる行動を引き出し、本来の姿を見せるための展示。

スマトラ島やボルネオ島に生息する野生のオラウータンは、一日のほとんどを樹上で生活する。
高さ30mを超える樹上にいることも珍しくはない。
と、オラウータン舎にいた飼育係の男性が教えてくれた。

オラウータン舎が完成したのは、2001年の8月。
この施設を建設するにあたって、渡り回廊からオラウータンが落ちることを考えなかったのですか?
と、飼育係の男性へ聞いてみた。
お役所的発想では、渡り回廊の下にネットを張るとか、柵を設置しがちになるものだと思ったのだ。

「当初はネットを張ることも考えました。だけど、枝が折れるなどの場合に限ってオラウータンが落ちることはあっても、彼らが自身のミスで落ちることがほとんどないことから、いまのスタイルになりました」

動物を信じた?

「信じたとはちょっと違うかな。むしろ生態をよく知っていたからこそ出来た展示といえるかもしれませんね」

旭山動物園の人気の理由が、ちょっとわかったような気がした。

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北海道滞在中、「疾走・下(重松清著・角川文庫刊)」を読んだ。
途中、幾度もしおりを挟み直しながら、飛行機やホテルのなかで、ゆっくりと読み進めた。

続きに希望を感じられず、途中で読むのを辞めようかとも思った。

すべての問いの答えは、最後に書かれている?
やっぱりそうだよな、最後まで読まなきゃ、最後まで最後まで。

そう思い、何度深呼吸をしたことだろう。

ラスト、涙が溢れてきて仕方なかった。
主人公への同情なのか、物語に乗せられたのか、何に対しての涙だったのか、いまではわからない。

大人になればわからないことがなくなると、子どもだったぼくは無邪気に思っていた。
無邪気だった子どものぼくは大人になり、それが誤りだと気付く。
大人の世界は、わからないことばかりなんだと。

June 06 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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え、嘘だろ。という脱力感。

スキャニングが仕上がったと連絡があり、ラボに出掛けた。
写真展に使用する写真を高精度で読み込んでもらい、デジタルデータ化にしてもらったのだ。
さあこれからが忙しくなるぞと、早速受け取ったCDをパソコンに入れた。
急いでプリントデータを作成しなければいけないのだ。
と、ここまでは良かった。

CDを入れたパソコンは、なんにも反応せず。
時折、CDが中途半端に回転するものの、まともな動作じゃないことは一目瞭然。
CDの読み込みや書き込みが出来なくなってしまったのだ。

何もこんなときに壊れなくてもいいじゃないか。
と、パソコンに毒づいても何も状況は変わらない。

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川辺川ダム計画の中止を求める活動をしている方々が、熊本から上京。
昨日の夕方に熊本県人吉市を出発し、延々と高速道路を夜通し走り、今朝都内に到着したという。
お疲れ様ということで、「川辺川・東京の会」の仲間たちが声をかけ、銀座の「和民」で歓迎会。
久しぶりに焼酎の返杯を繰り返し、だいぶ酔って帰宅。

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小雨がぱらついた曇空も、午後には回復。
蒸し暑い風とともに、青空が広がっていった。
数日前の予報よりも、台風4号は東寄りを進んでいる様子。
ちょっとホッとする。

今週土曜日、上野公園水上音楽堂で開催の「野田知佑ハモニカライブ6」。
さすがに雨は、嫌だもんね。

このライブはカヌーイストの野田知佑さんの協力のもと、四国を流れる吉野川の保護活動を支えることを目的に企画され、今年でなんと6年目。
年に一度、首都圏に暮らす自然好き、川好き、阿波踊り好きが集まり、手作りで行ってきたイベントなんです。
だから、チケットや物販売上で得た収益はすべて「吉野川みんなの会」の活動へカンパ。
ご興味ある方は、ぜひ足を運ばれてください。

土曜日、上野に雨が降りませんように。

June 09 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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つばさに乗って、山形へ向かった。
梅雨入りした東京の空から逃れるように、北へ進むにしたがって青空が広がっていった。

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June 11 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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山形での仕事が片付くと同時に、急いで駅へと向かい、帰京した。
上野駅で「つばさ」を降りてからも、走るように水上音楽堂へ。
心配された天気も悪天候にはならなかったみたいで、ちょっとひと安心。
開演のアナウンスと同時に会場へ到着し、ハモニカライブになんとか間に合ったみたいだった。

客席を見渡すと、ざっと300人くらいのお客さんの姿を確認し、これまたひと安心。
会場入口でキョロキョロしていると、当ブログを見て会場に足を運んでいただいた地球丸のSさんに声をかけていただく。
Sさん、どうもありがとうございました。だけど、ほとんどお話も出来ず、申し訳ありませんでした。

懐かしい顔に次々と会い、休憩時間には会場の片隅で近況報告などで盛り上がった。

ライブ終了後、例年どおりスタッフの打ち上げの席に参加。
が、どうにも「場」の雰囲気になじめず、話を聞いても頭のなかを素通りし、いまいち盛り上がりきれなかった。
かわりにグラスに注がれたビールだけが、どんどん減っていく。
でも、酔えない。
今年は準備から本番当日に至るまで、ほとんど手伝うことをしなかったため、イベントとぼくとの関係が希薄だった。
からかもしれないな。
23時に打ち上げ終了。
「さあ、帰ろ」
そう、独り言ちて、慌ただしかった一日が終わった。

関係者の皆様、どうもお疲れ様でした。

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二日酔い。
には成らず、朝7時には目が覚めた。
休日の朝。
外を見ると、青空が広がっていた。
布団を干し、洗濯をし、パソコンの前に座り、ウェブサイトのメンテナンスや更新を行った。
そして写真展関係の仕事をいくつか済ませ、気付くと夕方。

映画でも見ようかと、「モータサイクル・ダイヤリーズ」のDVDをレンタルし、帰宅。
で、借りてきたDVDをパソコンへ入れた段階で、読み込み機能が壊れていたことを思い出した。
「新作をゲット出来た」と、レンタルビデオ屋で喜んでいた自分が情けない。
なにやってんだか。

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慌ただしいほどの忙しさを味わうときがある。
もしかしたら今も、そうかもしれない。
来週から半月ほど、家を空ける。
その関係で、やらなければならないことがこの数日間に集中し、寝る時間を削っては用事を片付けている。
が、片付かないことのほうが多い。
今日も一日、都内を駆け回り、夜中に帰宅。
そして明日・明後日は、佐渡へ出張。

パソコンを修理に出している余裕がなく、さきほどネットでiBookを購入した。
たぶん金曜日までには納品されるはず。
これで写真展に展示するプリントデータを土・日に作成することができ、CDにデータを焼くこともできる。
で、月曜日には予定通りデータを納品できると思うのだ。

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佐渡へ来るのは今回で2回目だった。
前回は10年以上も前のことで、たしかエリック・クラプトンのアンプラクドが発売された年だったと思う。
東京都葛西臨海水族園でペンギンを飼育していたHさんに誘われての旅だった。

朱鷺を見ること。
それがぼくの佐渡行きの目的だった。
当時の日本国内には学名に「ニッポニア・ニッポン」とついた朱鷺は、佐渡で保護飼育されていた二羽のみで、お互いの繁殖は絶望しされていた。
絶滅する前に一度見ておきたい。
ペンギン保護のヒントを得るために出掛けるHさんとは違い、ぼくはそんな不純な動機で佐渡へ向かったのだった。

朝一番のフェリーで佐渡へ渡ったぼくらは、ひどく緊張しながら「トキ保護センター」へ向かった。
1993年に現在の場所に移設されるまで、センターは車一台がやっと通れるほどの未舗装路の先にあり、運転していると心細くなってくるほどの山のなかにあった。

古い建物と錆びの浮いたゲージ。
お世辞にも綺麗とは言えない施設を前に「これが最後の朱鷺を飼育している場所か」と、少し悲しくなったのを今でも覚えている。
古びた施設が、この世から存在を消されつつある存在の象徴のようにも見えたのだ。

ゲージのなかには雌の「キン」と雄の「ミドリ」の姿があった。
生まれて初めて見る"本物の朱鷺色"。
興奮した。なんて綺麗なんだろうと、思った。
淡い橙色をした翼は、頬を赤らめた女性のように艶かしかった。


今日、トキの森公園内にあるトキ資料展示館に出掛け、「キン」と「ミドリ」と再会した。
剥製となった二羽の朱鷺を眺め、過ぎていった時間ばかりが思い出となってあふれてきた。

現在、センターには中国からやってきた朱鷺たちが順調に卵を産み、雛が育てられ、80羽まで飼育総数が増えてきているという。
囲われた空間ではなく、広い空を自由に飛ぶ朱鷺を、ぼくは見たい。

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撮影場所を整地するため、草刈り機を借り、久しぶりに操った。
チェーンソーと同じく、普段はまったく触れることのない機械だけど、たまに扱うと面白い。
こういった作業が、ほんとうはボクには合っているのかもしれないな。

June 16 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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草刈り機を操っていると、近くに薮にモミジイチゴを見つけた。
慌てて機械を止め、熟れている実をちぎっては、口のなかに放り込んだ。
甘いんだけど、ほのかに酸味のあるホッとするような味。
仕事を忘れ、しばらく食べ続けたのでした。

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昨夜遅く佐渡から帰宅し、今日は終日自宅で仕事。
あまりの蒸し暑さにすべての窓を全開にし、今年初めて蚊取り線香を焚いた。

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必要に迫られ、iBookを購入。
さっそくソフトをインストールしようとしたものの、フォトショップなどのインストールCDが見つからない。
大掃除のとき、ついうっかり捨ててしまったみたいなのだ。
思い出したら、思い当たるふしあるし…。
あーなんて馬鹿なんだ。バカバカバカ。

10万円以上がパー。
と、さっき気付き、もうすべてが嫌になってしまった。
そのうえ、ものすごく蒸し暑いし。

これじゃなんのためにiBookを購入したんだろうと、やることなすこと裏目です。

June 18 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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墨田川沿いに続く歩道での酒宴に参加。
コンクリートに挟まれた川でも、広い川面を眺めるとホッとする。
走る人がいて、犬を散歩させる人がいる風景。
こんな川でも都会のなかのオアシス的な存在かもしれないな。
たとえそこが本来の川の姿からほど遠い、醜い場所だとしても。

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羽田発のJAL始発便に乗って釧路へ向かった。
今日からしばらくネットと離れ、釧路川滞在。
某誌取材のため、カヌーイスト・野田さんと釧路川を下る旅。

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釧路空港でレンタカーを借りた。
スバルのインプレッサ・ワゴン。
2週間後、千歳空港で返却を予定。

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朝から晴れ渡った空が広がっていた。
暑いぐらいの日差し。

釧路川は屈斜路湖からはじまる。
地元でカヌーガイドをしている「ノースイーストカヌーセンター」と「リバー&フィールド」の方々と釧路川源流域を下った。

湖にカヌーを浮かべ、流れ出しに架かる橋へと漕ぎだす。
橋の下には産卵のために集まったウグイが何百匹と泳いでいて、川底が真っ黒に染まっていた。
橋を潜ると、川は森のなかを縫うように流れ、飽きることはなかった。

この日は弟子屈市内の摩周大橋まで下り、上陸後に集合写真を撮った。

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今日は屈斜路湖畔でキャンプ。
夕方、湖へ漕ぎだし、ルアーを振るった。
何投目かでアタリがあり、釣り上げてみると黄金色に輝く綺麗な雨鱒だった。

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外が明るくなり、目が覚めた。
時計を見ると、まだ午前3時半だった。
この時期、道東の朝は早い。
テントから顔を出し、湖を眺めた。
夢の続きのような風景だった。

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釧路湿原に伸びる堤防を歩いた。

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湿原を高台から撮影するため、山を歩いた。
森に入ると、二羽のカラスが頭上近くにやってきて、出ていてとばかりに威嚇をはじめた。
拾った棒を片手で振り回しながら薮を漕いだ。
しばらく進むと、動物の毛が散乱している場所をみつけた。
その近くには大部分が白骨化した雌のエゾシカの死体があった。
不気味というよりも骨の白さがなんだか美しかった。

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久しぶりに街にでる。

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林道に車を停め、岩保木山頂近くにある電波反射板に向かって山を登った。
荒れた道をしばらく歩くと、目指す電波反射板が現れた。
ジャングルジムを登るように電波反射板を上がると、湿原を遠くまで見通すことができた。

落ちたらただじゃ済まないな。
という文句が頭をよぎると、もう駄目だった。
急に恐怖心が沸き、緊張して身体がぎこちなくなるのがわかったのだ。
恐る恐る地面へと降りた。
たぶんきっとヘッピリ腰だったに違いない。

電波反射板には、無数の落書きがあった。
1971年に書かれたらしい署名もあった。
ぼくが産まれた年にここを登った人は、何を考え、どんな風景を見たのだろうか。

June 30 | Comments(0) | TrackBacks(0)


May 2005July 2005