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国が進める中間貯蔵施設は福島第一原発を取り囲むように計画させている(2013.3.16)

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 福島県鮫川村は東京電力(株)福島第一原発の事故後、県内外から注視される存在となった。環境省がこの村に、処分が滞っている放射性物質で汚染された牧草や稲わらなどを焼却する仮施設の設置を決め、運用を始めたからだ。
 福島県南部に位置する鮫川村は、阿武隈山地の山あいに集落が点在する典型的な中山間地域。人口約4,000人の村は原発事故による深刻な放射能汚染の被害もなく、林業や農業が長いあいだ村の暮らしを支えてきた。
 環境省主導による仮焼却炉の建設が鮫川村で始まったのは2012年11月のこと。その年の春に国が村へ働きかけ、施設設置が決まった。鮫川村でも"汚染飼料"などが処分の見通しが立たずにたまっていたため、村は施設の受け入れを承諾。この仮焼却施設で処理の対象となるのは、基準値を超えて飼料として使えなくなった牧草や稲わら、牛糞堆肥や除染によって取り除かれた庭木や立木などとされた。
 環境省によると、この施設では「指定廃棄物」扱いの1kgあたり8,000ベクレルを超える廃棄物も処理する計画だが、8,000ベクレル以下の廃棄物と混合処分することで焼却灰に含まれる放射性物質の濃度は抑えられるという。さらに焼却後に発生した灰は、福島県内に建設が予定されている「中間貯蔵施設」が完成するまで施設の敷地で一時保管されるが、同施設内でセメント固刑化を行うために飛散等の心配はないと説明する。懸念される排ガスへに関しては、焼却炉に設置された特殊なフィルターが排ガス中の放射性物質を除去するため、大気中への影響はないという。
 仮焼却炉を設置するに当たっては村内に反対の声がなかったわけではない。フィルターの効果を疑問視し新たな放射能汚染を危惧する声のほか、中間貯蔵施設の建設が遅れている現状で、鮫川村に高濃度の焼却灰等が運ばれてくるのではないかといった不安を口にする者もいる。
 不安を訴える住民が村内外に存在する中、施設は2013年8月19日に本格運用が開始された。事前に行われた10日間の試験稼動では、排ガスから放射性セシウムは検出されず、施設周辺の放射線量に変化がないことが確認された上での稼働だった。しかし運用開始から10日後、焼却施設の一部でトラブルが発生。爆発音とともに施設の一部が破損する事故が起きたのだ。幸いにも焼却灰などの飛散は起きず、周囲の放射線量に変化を及ぼすことはなかったが、「安心」と太鼓判が押された施設での事故は、村と住民に動揺を与えた。環境省の発表では、事故は炉で焼却された主灰を固形化するために施設へ運ぶコンベヤーで発生し、コンベヤーを覆うケースに長さ3mほどの破断が見つかった。事故を受けて施設の運用は一時中断されたが、2014年2月になって再稼働に向けた試験運転が再開され、翌月の18日に本格運用が開始された。
 今後、国は鮫川村と同様の仮焼却施設を福島県内だけで新たに数ヶ所設置し「汚染飼料」だけでなく東日本大震災で発生した福島県内にある「災害廃棄物」の処理を加速化させる方針だ。しかし施設に反対する声は各候補地で上がり、処理の見通しが完全に立っているとは言い難い状況が続いている。


大熊町で生まれ育った根本友子さんの一時帰宅に同行。根本家の先祖が眠る墓石の周囲も中間貯蔵施設の計画地に含まれている(2013.3.16)

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 仮焼却炉で処理された「汚染飼料」や「災害廃棄物」の焼却灰、除染で発生した廃棄物などは、福島県内に設置される中間貯蔵施設へ運び込まれる計画だ。しかし原発事故から3年が過ぎた現在、中間貯蔵施設の着工にはいまだ至っていない。
 2013年の春、大熊町から会津若松市の仮設住宅へ避難している根本友子さん(65)の一時帰宅に同行した。兼業農家である根本さんの自宅や農地は、居住が長期に渡って制限される「帰宅困難区域」に指定され、福島第一原発までは直線でわずか3kmほどの距離にある。自宅近くで計測された取材時の放射線量は1時間あたり30マイクロシーベルトと、事故当時より下がったとはいえ依然高い状態が続いている。
 福島県は2014年2月、国に対して中間貯蔵施設の建設地を福島第一原発が立地する双葉町と大熊町に集約する要請を行い、国は要請を受け入れる考えを示している。根本さんの農地や夫が経営する運送会社の敷地は中間貯蔵施設の建設予定地に含まれ、根本さんは「どこかが除染廃棄物等を受け入れないと福島県の復興が進まない」と理解している。しかし「放射線量の高さから帰れないとはわかっているけれど、故郷を2度奪われる気持ち」と複雑な心境で自宅を見つめていた。
 中間貯蔵施設はその名の通り、あくまでも仮置き場で、国は30年後を目処に県外に設置される最終処分場へ汚染廃棄物を移すとしている。しかし福島県内でさえスムーズに中間貯蔵施設の建設が進まない現状と複雑な住民感情がある中で、果たして福島県外で最終処分場を受け入れる自治体が現れるのだろうか。国の試算では中間貯蔵施設へ運び込まれる廃棄物は2,8000万m3にも及び、当初の計画では19km2の土地が必要とされる規模だという。30年後には放射性物質が自然崩壊し基準値以下になる可能性もあるが、それでも莫大な廃棄物を移すことが予想されるのだ。
 NHKが2014年1月に放送した番組(*1)の中で、環境省による中間貯蔵施設の住民説明会の模様が音声のみ放送された。住民が「中間貯蔵施設イコール最終処分場じゃないですか?」と疑問を投げ掛けると、環境省の担当者は住民からの質問に答えられず「お互い中間とか最終とか言うんじゃなくて、わかりあいながらしばらく進めていきましょう」と話すにとどまった。
 中間貯蔵施設という考えは2011年8月に福島県庁で行われた当時の菅直人首相と佐藤雄平知事との会談の席で、初めて政府方針として示された。しかしこの菅首相の発言は、福島県内で最終処分を考えていた環境省にとって思いがけないものだったという。NHKの同番組取材に当時の環境省幹部は「総理から突如"中間貯蔵"という言葉が出たが、まさに寝耳に水だった。"県外での最終処分"を実現させるための具体的な候補地には全くあてがなかった」と述べている。また同番組に登場した民主党の福山哲朗議員(原発事故当時の官房副長官)は、当時の政府にはほかの選択肢がなかったと説明。
「避難や将来的な帰還の可能性も含めて厳しい状況を強いている状況で、そのときに福島を放射性廃棄物の最終処分地にするというメッセージを当時の政権として言える状況ではなかった。最終処分地のイメージがあったわけではない。しかし目の前の除染や放射性廃棄物については何らの移動をしないことには帰還も除染も進まない。福島の復興も進まないという中で、とにかく"中間"ということでお願いをしたということです」と、将来県外へ運び出すことを約束する形での中間貯蔵施設の計画だと答えている。自民党政権へ代わった現在も、この方針は変わっていない。


地震で崩れた屋根から雨水が漏れ、所々で腐る畳の上でネズミが死んでいた。ネズミよけをまいても死骸と糞はいっこうに減らないという(2013.3.16)

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 一時帰宅した根本さんは、荒れた自宅を前にため息ばかりついていた。家の中へ入るとネズミの糞が床や畳に散らばり、雨漏りで腐った畳の上には糞だけでなくネズミの死骸さえもあった。そんな変わり果てた自宅ではあったが、そこは間違いなく根本さんの思い出が残る家だった。原発事故によって発電所の敷地外へ放出された放射性物質は、処分が困難な廃棄物を大量に生み出し、生まれ育った故郷や土地から人々を引き剥がしていった。
 中間貯蔵施設計画は当初の予定より大幅に遅れ、政府が目標として掲げている2015年1月からの搬入開始は情勢的に難しく、計画はさらに遅れることが予想されている。
(続く)


*1)NHKクローズアップ現代「故郷はどうなる 除染廃棄物に揺れる福島」
*年齢は当時(記事執筆は2014年3月)