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ここにしかない手作りの町「マイタウンマーケット」


 クリスマスがせまった昨年の年の瀬。福島県新地町の小川公園応急仮設住宅では、冷たい風を吹き飛ばす元気な声が響いていました。
「美味しい焼き芋がやけたよー」
 この春に小学6年生となる西谷あずささんは恥ずかしそうに声をあげ、かわいいシールで飾った紙袋に包んだ焼き芋をお客に手渡していました。小学生最後となる今回のマーケットにお好み屋を出店したのは、子ども実行委員長の小野未来(みく)さん。材料や道具は大人が準備しましたが、粉を混ぜたり鉄板で焼いたりするのは未来さんの役目です。この日もお好み屋は大人気で、開店早々お店に人が並びました。
「開店前から焼いていたけれど、そうしてなかったら大変だった。次から次へと売れるんだもの。あと少しで焼けるから待っててくださいね」
 マーケットには、姉妹で参加した小学3年生の小野愛花(あいか)さんの「ぬいぐるみ屋」や妹の梨花(りか)さんによる「カフェ」なども並びました。どのお店も売れ行きが順調で、焼き芋は用意したすべてが無くなるほど繁盛しました。

 「マイタウンマーケット」は小川公園応急仮設住宅で定期的に開かれている催しで、仮設住宅に暮らす小学生や住民が中心になって運営する手作りのイベントです。新地町の人や高校生をはじめとするボランティアも多く参加し、昨年末で9回目を迎えました。
 出店のアイデアは毎回「子ども実行委員会」の参加する5人の子どもだちが中心になって考えます。この日はほかにもまんが館や高校生による劇も披露されました。
 開催日が決まると、まずは子どもたちだけで「町にあるもの」「町にないもの」に分けて施設や店などのたくさんの意見を出し合い、町をつくるための企画案をしぼり込みます。そしてやりたいものが決まると、文章と絵で企画書を書き、実行委員会の席で大人たちを前にして発表するのです。これまで「おばけ屋敷」や「足湯」、「動物園」「プラネタリウム」などのユニークな企画が実行に移され、町(マイタウン)と市場(マーケット)が組み合わさった特別な1日を盛り上げてきました。

 マイタウンマーケットが行われている小川公園応急仮設住宅には、2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波で自宅を失った人たちが暮らしています。
 仮設住宅の93戸のうち、約8割の世帯が海沿いの釣師集落の住民で、あずささんや未来さんの家も釣師にありました。大津波は釣師を含む沿岸部をのみ込み、新地町では100人を超える町民が津波の犠牲になり、577棟の建物が全壊、あるいは半壊しました。

 震度6強の地震が襲ったとき、あずささんは姉の美冬さんと新地小学校にいました。高台にある小学校は津波の被害は受けませんでしたが、漁師をしていた父の一行さんは船を守るために沖へ向かい、大きな山のような波を越えて、ひと晩海で過ごしました。あずささんは母のゆみさんと避難所の体育館で父を待ち、一行さんは翌日帰ってきました。それから仮設住宅ができるまで、あずささんたちは2ヶ月近く体育館で避難生活を送ったのです。

 マーケットは小川公園仮設住宅が完成した2ヶ月後に始まりました。きっかけは新地町にやってきた2人のボランティア。ひとりは「ビリー」という愛称でみんなから慕われている西川昌徳さんで、もうひとりは現代美術家の北澤潤さんです。西川さんは世界中を自転車で旅するサイクリストで、自転車で日本1周をしていたときに仲良くなった釣師集落の人たちが心配になり、震災の翌月に新地町へ駆けつけ、西川さんの友人の北澤さんも新地町で避難所などを回っていました。北澤さんはこれまで全国各地で地域の人たちと一緒にさまざまなプロジェクトを行ってきた経験から、新地町でも何か出来ないかと考えていました。そして思いついたのが梱包に使うビニールテープで絨毯やゴザを編むことでした。
 北澤さんが避難所で絨毯を編んでいると、遠巻きに見ていた子どもたちが作業に加わりはじめ、大人たちも足を止めてしぜんと会話が生まれていきました。そして自分たちで編んだゴザをひとつのスペースにして「1日限りの手作りの町」をつくろうと北澤さんが提案し、マイタウンマーケットが始まったのです。
「震災で町の姿がうつろになってしまったなか、自分たちの力で仮の町をつくることで前向きな気持ちになるかもしれないと思ったんです。マイタウンマーケットは1日だけの特別な"町"。ふだんは考えられないことをかたちにすることで、未来を想像する心を育むことができる。このアイデアに最初に興味を持ってくれたのが子どもたちでした」
 北澤さんの考えに賛同した大人たちが実行委員会を立ち上げ、子どもたちの「やりたい!」という思いと企画を実現させるためのサポートをすることになりました。震災でつらい体験をしたからこそ、子どもたちには楽しいことをたくさん経験して欲しいと願ったのです。
 新地町のボランティアセンターでコーディネート業務をしていた西川さんも北澤さんの考えに共感し、子どもたちと準備に取りかかりました。
「最初は準備の段階で泣いてしまった子もいました。できると思って取り組んだものの、やり方がわからなくて戸惑ってしまったんです。でも、ぼくらはもっといいアイデアを知っていてもあえて教えなかった。その後、回数を重ねるたびに、子どもたちは今あるもので何ができるかを少しずつ考えるようになり、やりたいお店を次々と実現していきました」

 この日のマイタウンマーケットには、未来さんの兄の永遠(とわ)さんの姿もありました。初代の子ども実行委員長だった永遠さんは昨春中学生となり、クラブ活動がいそがしくてマーケットの準備からは離れていますが、今でもみんなが頼りにしています。段ボールで作った恐竜を展示した博物館や、ビニールハウスの骨組みにブルーシートをかぶせて作ったプラネタリウムなど、様々なアイデアを実現させた永遠さんですが、仮設住宅に移ってきた当時は、今とはまったく違っていたと言います。
「以前は人前で発表することが苦手で、誰かが『これをやりたい』と言っても『そんなのできない』と思っていました。だけど回数を重ねるたびにグレードアップして、もっとすごいものをやりたくなり、できるようになった。人を楽しませることに関心を持つようにもなった。マイタウンマーケットは自分たちの町にないものをつくれるから面白いと思います」

 マイタウンマーケット実行委員長であり、小川公園仮設住宅の初代自治会長を務めた横山隆さんは、そんな子どもたちをあたたかい目で見守っています。
「みんな同じ集落だったけれど、震災前は仕事が別々だったせいもあり、近所付き合いが希薄だった。それがマイタウンマーケットの取り組みを通して、表面的な付き合いではなく、腹を割って話せる関係になった。まるで昔に戻ったように、他人の子どもでも叱ったり、挨拶を交わすのが当たり前になったんです。子どもは家族で育てるのではなく、地域で育てていくものだとみんなが思うようになりました。まるで大きな家族みたいです」

 子どもたちが考えた町をみんなでつくって、みんなで楽しむマイタウンマーケット。子どもたちが描いた「新しい町」は、にぎやかな明るい笑い声に包まれていました。
 新地町では高台造成が進み、今年には小川公園仮設住宅から高台移転地に建てた新居への引っ越しが始まります。マーケットに関わっている人たちは、移転先でも「マイタウンマーケット」を継続することを考えています。

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お店を利用するためには、マーケットのみで使える「タウン(50タウン=50円)」が必要。入口で両替できます。

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この日はマイタウンマーケット終了後、仮設住宅の集会場でクリスマス会を兼ねた打ち上げが行われました。

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次回の「第10回マイタウンマーケット」は4月5日(土)に開催されます。ぜひ遊びに行ってみてください。
http://mytownmarket.blogspot.jp
上記文章はJA・家の光協会発行の児童誌『ちゃぐりん3月号(2014年3月発行)』に掲載されたものを一部加筆したものです。

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