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March 01

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March 03

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March 04

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March 04

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March 05

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March 05

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先週金曜日に羽田から札幌へ移動し、週末はニセコでスキーを楽しんだ。
そして昨夜、田町駅での信号機故障の影響で予定よりもだいぶ遅れて帰宅。
今朝は5時起床。
一般道を使い、車で木更津へ。
その道中、お金を降ろすために銀行脇のコインパーキングへ車を入れようとしたところ、パーキング入口の発券機に車をぶつけてしまった。
「ありえない」と嘆きたい気分だけれども、100パーセントぼくの不注意。
本当に馬鹿以外の何者ではない。
駐車場の看板に記されていた連絡電話番号へ連絡し、ぼくが加入する自動車保険会社へも連絡。
幸いなことに対物補償をかけていたので修理費等の持ち出しはないみたいだけれど、すごく気分が落ち込んでしまう。
警官を呼び、事故証明を作成してもらい、電話で双方とやり取りを交わす。
まったく、なんて馬鹿なんだ。
車を運転する方は、くれぐれも慎重に。

March 06

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明るく元気な美女たちと潮干狩りに出掛けた。
といっても、B誌のロケで。

March 07

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ロケ二日目の今日は、素敵な家族と磯遊びを楽しんだ。
天気は上々で、青空が広がる下で汗を流した。
東京の近郊にも十分楽しめる侮れないフィールドがあることを知ったのは、嬉しい収穫。
今度はプライベートで遊びに来ようと思う。

March 08

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昨夜は帰宅後、パソコンと外付けハードディスクへ撮影データーの保存作業をした後、バタンキュー。
荷物の片付けもそこそこに、布団へ倒れ込んでしまった。
今日は8時半ごろに起き出し、ロケで撮影した写真のセレクトを行い、選んだ写真をCD-Rへ焼き込み、コンタクトシートを作成し、夕方過ぎに納品。
納品後、この2日間一緒に働いたライターのF君と編集者のKさん、そしてカヤック仲間のM君と晩飯を食べ、お酒を飲んだ。
そんなにたくさん飲んだわけじゃないのに、だいぶ酔っぱらってしまった。
そして昨夜と同じように、布団の上にバタンキュー。

March 09

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仕事の合間に「なんちゃり」をしているのか、「なんちゃり」の合間に仕事をしているのか、わからなくなってきた。
今日は6時に起床後、数日振りに現場へ出掛け、朝から日没まで「なんちゃり」活動を行った。
前回に引き続き、8時過ぎに友人のマジャ君が来てくれて、屋根修理5日目。
が、なんと途中で屋根材のアスファルトシングルを貼付ける溶剤が無くなり、作業がストップ。
屋根修理に取りかかって、何度こういったことがあったか。
いかにも素人臭い失敗と手際の悪さに、今日もまた屋根の上で途方に暮れる。
昼過ぎ、近くにあるホームセンター「コーナン」へ出掛けるものの、残念ながら目当ての「アスファルトセメント」は取り扱っていなかった。
今日で屋根修理から解放されると思っていた期待は、どこか遠い空へ飛んでいき、屋根はいまだ仮の姿のまま。
あと5/2ぐらいで完成なんだけど、天気は再び雨の予報。
嫌になっちゃう。
明日は取材撮影の仕事で5時前に起床し、千葉県の館山へ。
帰りに遠回りして、千葉ニュータウンにある「ジョイフル本田」へ寄って、材料を補給する予定。
ふぅ〜。
月曜日に完了できればいいけれど…。微妙だなぁ。

March 10

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日の出前に自宅を出発し、館山を日帰り往復。
行きは高速道路を使用したけれど、帰りは一般道を使って帰宅。
館山へ向かう途中、ノッキングに似た状況を起こし、車が突然絶不調になってしまった。
冗談ではなく、高速道路上で動けなくなるのではとビビったほど。
状況としては、一昨年の11月に鹿児島で起きたときと同じような感じ。
ということは、その当時と同じ状況なのだろうか。
でも、燃料フィルターはそう簡単に詰まるものではないし、とすれば原因は別にあるのか、そもそも問題が解決していなかったのだろうか。
ボンネットを開き、プラグやら何やらを見ていくも、いまひとつ原因がわからなかった。
暴風雨のなか、騙しだまし車を走らせて館山着。
雨具を着込んで依頼された撮影をしていると、昼過ぎには雲の合間から青空が広がっていった。
天気予報通りの展開にホッとする。
太陽さん、ありがとう。
撮影を終えてからは、もしものことを避けるために一般道を使い、帰路についた。
いやはや。車のメンテもしないといけないなんて、なんというタイミングの悪さだろう。

March 11

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仕事の合間に近所の日産ディーラーへ出掛け、車の不調について相談をした。
助手席にメカニックの方を乗せてしばらく走るも、こういったときにはたいてい不調が現れないだよね。
仕方なくアクセルを操作して、ノッキングに似た不調の具合を疑似的に起こして説明をするものの、これぐらいでは何処に不具合があるのか断定するのは厳しいとのこと。
そりゃ、そうだ。
仕方ないので、先日割ってしまったライトの部品と、かねてから怪しいと睨んでいるプラグケーブルを注文。
部品が到着する2日後が待ち遠しい。

March 12

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屋根修理6日目。
今日はひとりで作業。
一昨日、館山から帰る途中、木更津に入る手前で「ジョイフル本田・君津店」を発見し、そこで購入した追加の屋根材を使って、最後のひとふんばり。
FMラジオを屋根に起き、周波数を81.3にあわせる。
屋根の上は太陽の照り返しもあり、ひじょうに暑く、今年初めてTシャツ姿となり、トンカチをふるった。
ラジオからはゲストで登場した「Peter Bjorn & John」による口笛ソング「Young Folks」の生演奏。
作業の手をとめて屋根に寝転ぶ。
一緒に口笛を口ずさみ、ライブ感を楽しんだ。
日常のなかにある、気持ちいい時間。
夕方、アスファルトシートを張り終え、大棟部にトタンをかぶせ、屋根の葺き替えが終了。
いやはや。心配していた事故もなく、無事に終わって良かった。
でもまだリノベーション作業は始まったばかりで、やらなければならない作業のほうが多いなぁ。
いったいいつになったら完成するのだろう。

March 13

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March 14

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冬に戻ったような冷えきった空の下、編集者のKさんに誘われ、パシフィコ横浜で開催された「ボートショー2007」へ出掛けた。
事前案内には「カヌーショー2007」も同時開催と謳っていたのでけっこう期待していたのだが、カヌーを扱うブースはほんのわずか。
まわりを見渡すと豪華絢爛のボートが目に飛び込んでくる状況だけに、カヌーが展示されたブース周辺はいっそう寂しく映り、お世辞にも“カヌーショー”いえるような内容ではなかった。
改めてカヌー&カヤック業界の現実を感じ、ちょっとユウツになるも、別の事情があるのかもしれないと納得。
ひと通り会場を見学し、Kさんと別れた後は、久しぶりに横浜の街を歩き、旧友を訪ね、飯を食べた。
関内から乗った京浜東北線の車内では熟睡。危うく乗り過ごすところで、目が覚めた。

March 15

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March 16

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昨年に引き続き、今年も春を待つ那珂川を下りに出掛けた。
カヤック仲間のTさんをのぞき、ゲストの二人は初心者で、Tさんとぼくが用意したフェザークラフトのカフナに乗ってもらった。
昨夜22時に神保町集合で、24時に都内出発。
常磐道の水戸インターで降りる予定が、ぼくの勘違いとうっかりで東北道を走ってしまい、そのことを後続のTさんに指摘され、大慌て。
地図で確認すると、目的地の那須烏山に宇都宮インターのほうが近いことがわかり、ひと安心。
那珂川を那須烏山から下る場合は宇都宮インターを利用したほうが便利だと知ったのは、怪我の功名か。
なんて、ただの言い訳ですね。
すいません、Tさん。
そして3時、那珂川の河原に到着し、テントを張って就寝。
目覚めると、青空とはいわないまでもまずまずの天気。
Tさんの車を使って今夜のキャンプ地にぼくの車を搬送し、いざ川のうえへ。

March 17

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北風に背中を押され、川を下った。
太陽が雲に隠れると、ぐっと気温が下がり、寒さに震えた。
漕ぐ手を止めては、かじかんだ両手をあたためた。
ぼくらに驚いたダイサギの群れがいっせいに水辺を離れ、上流へ飛んで行った。

March 17

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March 18

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昨夜は北風が強く、車を風よけにしてテントを張った。
朝起きると水筒の水が凍っていた。
日曜日の朝、空は快晴。
焚火に木を放り込み、みんなが起き出してくるのを待った。

March 18

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March 18

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March 19

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週末の疲れもあって、昨夜は23時に就寝。
ところがヘンな夢のせいで、3時に目が覚めてしまった。
その夢とは、ぼくがなぜかカバの子どもを自宅で飼っているというもので、その場所がよりにもよって便器のなか。
で、最初は大人しかったカバが、だんだん凶暴になっていき、最後はぼくのあそこを齧られそうになるところで目が覚めた。
おしっこをしたいけど、便器にカバがいるために困り果ててしまうというストーリー。
どうせ夢を見るのなら冒険活劇なものがいいのに。
あと3時間は眠れると再び目をつぶったものの、すっかり目が覚めてしまったので起き出した。
コーヒーを飲みながら2時間ほど本を読んだ後、早めに到着して車のなかで仮眠をしておこうと思い、取材先へ出発。
という朝で迎えた一日だった。

March 20

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March 21

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雲が流れていく先を想像し、星の瞬きに胸を踊らせる。
月のカタチに魅せられ、太陽がつくる色彩にココロを奪われる。
今日もまた見上げれば、そこに空がある。
手を伸ばし、空に触れてみる。
すべてにつながる空は地球を一周し、ぼくの手に触れる。

March 21

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March 22

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March 23

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今日は久しぶりに現場へ出掛け、「なんちゃり」作業を行った。
現場へ到着すると、顔馴染みになった2軒隣のおばあさんとちょうど出くわし、世間話を交わした。
そこでおばあさんから衝撃的な情報をもらった。
なんでも最近、このあたりの借地一帯を使ってマンションを建てる計画が持ち上がり、そのための聞き取り調査員がおばあさん宅に来たというのだ。
初耳。たぶんぼくに家を貸してくれている大家も、まだ知らないのではないか。
「わたしは反対と言っておいたわ」とおばあさんは言うものの、いったいどこまで計画が進んでいる話なのだろう。
このあたりはほとんど借地で、地主はひとり。
マンションが建つためには、おばあさんやぼくをはじめ、昔ながらの製作所や数軒のアパートが立ち退かないとならない。
とはいっても周辺は老朽化した空家が多く、地主にとってはマンションにしたほうが都合がいいかもしれない。
この話が本当だとしたら、困ったことになったゾ。
一気にテンションが下がってしまい、3時間程作業をしただけで本日は終了。
おばあさんの話だと「あと5年くらいは大丈夫」と言っていたけれど、どんな根拠で“大丈夫”なのだろうか?

March 24

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miuraさんからいただいたコメントの「空は行き止まりがあるわけでもなく〜」という一文を読んだら、とつぜん昔のことを思い出し、中国を旅したときに書き記した葉書日記帳を読み返してしまった。
スケッチだけの日もあるけれど、絵日記みたいな感じで頭に浮かんだフレーズを綴ってあり、久しぶりに読み返すと若かりし頃の自分と対面し、気恥ずかしい。
1991年3月17日。ラクダに乗って旅をしたタクラマカン砂漠で記した日記に、空について綴った文章がある。

右には地平線
左にはアルティンの山々が見える
大地の上に青空がある
白い僕の大好きな雲が
そこにある
雲を見ているとあきることがない
ここは足元から上すべてが
空でできている
僕は空のなかにいる
その中に僕の大好きな雲がある

また3月28日の日記には、風について書いた文章があった。

草原の中をラクダが行く
その上から僕は草原を見る
地平線いっぱいに続く
大地
風が草をゆらしながら
通り過ぎてゆく
少し冷たい朝の風
この土地のこの時の風だ
あつい一日がくるまえに
もう少し
この風に吹かれていよう

当時のぼくは19才。
そのころにイメージした35才という年齢は、想像できないくらい“大人”という感じで別世界に近いものがあったけれど、実際になってみると19才の頃と何も変わってない。
いいことなのか悪いことなのか、かなり微妙な感じ。
年相応という言葉があるけれども、実年齢についていっていないんじゃないかと時々不安になるが、なるようにしかならないか。

March 24

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夜半から風が強くなりはじめ、春の嵐のなか朝を迎えた。
屋根を叩く雨音で目が覚め、外をのぞくと土砂降り。
傘をさし、近所のコンビニへ新聞を買いに出掛け、今日は喫茶店で朝食をとった。
帰宅してからはパソコンへ向かい、今週納品のデジタル写真のセレクト作業を行い、山積みのデスクワークをひたすら処理していった。

午前10時前、FMラジオを通じて能登半島沖を震源とする地震が起きたことを知った。
ネットで気象庁のサイトをチェックし、揺れの大きさだけでなく震源地の場所に驚いた。
すぐに北陸電力による原発情報サイトをのぞき、ひとまず胸をなでおろした。
震源地に近い志賀原発は、先日発覚した臨界事故隠蔽により一号機は運転停止中で、二号機も定期点検中のため停止中。

不幸中の幸いとは、こういうときに使う言葉だと実感。
20時過ぎに配信された朝日新聞(以下に転載)を読み、もし志賀原発が稼働中だったらと考えゾッとした。
今回の地震は北陸電力が想定したマグニチュードを上回っていたというのだ。
事故から8年経って情報が表に出た志賀原発一号機で起こった臨界事故は、原発の心臓部とも言える制御棒が3本脱落し、臨界状態に陥ったというもの。もちろんこれは想定外の出来事。
北陸電力のプレスリリースを目にし、事故後数分間は原発を制御できなかった事実に背筋が寒くなった。
担当者はかなり焦ったのではないか。
もし8年前に脱落が発生せず、そのままの状態で地震を迎えていたらいったいどういう事態になっていたのか。
気になるのは、さきに紹介した朝日記事では原発立地点での重力加速度が226ガルとなっていること。
この記事の数時間後に配信された朝日と読売の記事では、防災科学技術研究所の発表によると志賀町で945ガルが観測されたことを伝えている。
945ガルという数値は、高速道路が倒壊した阪神淡路大震災で観測された891ガルをわずかに上回る。
防災科学技術研究所と北電が発表した二つの数値のひらきは、調査地点の違いと片付けていいものなのか。
隠蔽体質をまざまざと見た後だけに、疑問だけが膨らんでいく。

安全神話という言葉が頭に浮かぶ。
ぼくは格別、長生きをしたいと思ってはいない。
天災による不可抗力で命を失うことや、自分の判断ミスで命を落とすことは、ある意味仕方ないことと割り切っている。
でも、他人に殺されたいとは思わない。
ましては国の方針で命を奪われるなんて、ごめん被りたい。
今回の地震をはじめ、これまで大地震が起きない地域だと言われてきた地域で予想を越える地震が発生している。
ぼくらはいつ地震が来てもおかしくない土地に暮らしているのだ。
そして、そのような土地に原発が林立している現実を忘れてはいけない。
ものすごいリスクを背負って、ぼくらはいまを生きている。

2007年3月25日の朝日新聞より
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北陸電の想定マグニチュード上回る 能登半島沖地震

北陸電力の活断層評価が不十分であることが、今回の地震で浮き彫りになった。同社は、志賀原発1号機の設置許可を88年に得る前に、周辺海域を調査し、今回の震源周辺で、活断層4本を見つけており、マグニチュード(M)6.1〜6.6の地震を起こすと想定していた。この活断層と今回の地震との関係は不明だが、M6.9の地震が発生した。
2号機は昨年3月、耐震設計の不備を理由に金沢地裁で運転差し止めを命じられ、現在名古屋高裁金沢支部で係争中だ。
北陸電力によると今回の地震で、1号機の原子炉建屋地下2階の地震計で震度4.8を記録。揺れは226ガル(ガルは加速度の単位)で、想定最大の490ガルを下回った。原子炉を緊急自動停止しなければならない190ガルは上回っていた。
しかし、1号機は99年の定期検査中に原子炉で起こった臨界事故隠しのため、経済産業省原子力安全・保安院から運転停止を指示され、16日から、2号機はタービン故障のため、昨年7月から、それぞれ運転を停止していた。
今回の震源地は志賀原発から約17キロ離れている。このため、設計で考慮していた原発直下の地震(M6.5、深さ10キロ)による揺れよりは小さかったため、被害はなく、外部への放射能漏れはなかった。
保安院によると、震源に比較的近い新潟県の東京電力柏崎刈羽、福井県の関西電力美浜・大飯・高浜と日本原電敦賀などを含む全国の各原発でも、今回の地震による運転停止はなかった。

March 25

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ただいま午前2時。
気になってニュースをチェックしてばかりいるからかもしれないが、まだ仕事が終わらずに机の前に座っている。

2007年3月26日・1時44分に配信された読売新聞記事を読んだ。
タイトルは「志賀原発、使用済み核燃料プールの水が飛散…地震で」

北陸電力(富山市)は25日、運転停止中の志賀原発1号機(石川県志賀町)の原子炉建屋4階にある使用済み核燃料の貯蔵プールから放射能を帯びた水約45リットル(放射能量750万ベクレル相当)が貯蔵プール周辺に飛散したと発表した。
能登沖地震の揺れによるとみられる。
被曝者はおらず、外部への影響もないとしている。
周囲を覆うシート外のコンクリートには8リットル(同約130万ベクレル相当)が飛散した。
原子炉等規制法などは放射能量370万ベクレル以上がシート外に漏れた場合に国への報告を求めているが、今回は規定の約3分の1ということもあり、人体に大きな影響を与えるレベルではないという。

ずいぶん前、実際に著者が原発労働者となって現場をルポした「原発ジプシー(堀江邦夫著)」という文庫本を読み、現場は綺麗事ではないことを知り、衝撃を受けたことがある。
また最近公開された映画「六ヶ所村ラプソディー(鎌仲ひとみ監督)」にも、原発で働く労働者のことが触れられている。
地震で水が飛散し、床が濡れたという。
蒸発にまかせ、そのままで放っておくとは考え難く、誰かが上司に命令され、モップや掃除機で拭き取っているのだろうか。
放射能を浴びながら。
最近盛んに宣伝される、オール電化生活。
その身を放射能に曝している多くの原発労働者に支えられ、便利な生活が享受できていることを忘れてはいけないと思う。

March 26

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730円で都区内のJRが一日乗り放題のフリーパスを購入し、いくつかの用事を片付けるために都内を移動。
現像所へ向かう途中、警官が多いなぁと思ったら街頭演説会が始まるところだった。
生の声を聞いてみるのも悪くないと思い、しばらくその場に立ち止まり、彼の話を聞いた。
意外だったのは、あまり人が立ち止まらないこと。
それでも朝日新聞がおこなった情勢調査(3/23.24に実施)によると、現職の彼が優勢を維持しているとのこと。共同通信がおこなった調査でも同じような結果。
ふ〜ん。
マイノリティーの視線を忘れずに、今回は消去法でいこうかな。

March 26

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March 27

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March 28

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March 29

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土砂降りの雨がやみ、太陽が姿を現した。
自転車に股がり、荒川へ向けて走らせた。
風が背中をぐんぐん押していく。
名もない桜の下に寝転ぶと、雲が流れていくのがよく見えた。

March 30

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March 31


February 2007-April 2007