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夜明け前。
自宅を出て、羽田へ向かった。
久しぶりに乗る関空行きの始発便。
思考はとりとめなく循環し、さまよう。

December 03

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December 03

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昨日はシンポジウムを聞いた後、京都の吉田夫妻の自宅へ移動し、吉田夫妻のカヌー仲間と鍋を囲み、お世話になった。
そして今日は吉田さんの家から近い万福寺へ。

December 04

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いやはや。昨夜はえらい目に会った。
関空発の最終便到着が遅れ、出発したのは予定時刻を越えた23時40分。
こんなことなら素直に新幹線で帰宅すれば良かったと思っても、あとの祭り。

December 05

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自宅近くのレンタルショップをのぞくと、棚に「パッチギ(井筒和幸監督)」のDVDを見つけた。
ずっと見たいと思っていたものの、行くたびに貸し出し中だった映画だった。
早速借りて見た。
井筒監督にとっては「在日」というキーワードもエンターテインメントの要素・対象になりえる題材なのかと、ちょっと感心する。

December 06

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徳島から姫野雅義さんをはじめ吉野川第十堰問題にかかわる旧知の方々が上京し、本日国交省の河川局長と会談した。
吉野川の活動をする人たちが河川局長と会うのは5年振り。
当時は先のシンポジウムのパネリストだった竹村氏が河川局長で、終止「それについては担当部署である四国地建(現・四国地方整備局)へ聞いてくれ」の一点張りで、ほとんど収穫らしいものがなかったと記憶している。
あれから5年。
この間、吉野川の第十堰を巡る情勢は大きく変化し、自民党推薦で当選した現知事ですら、さきに行われた吉野川の河川整備基本方針を決める審議会において「可動堰以外のあらゆる方法」という言葉を使うほどまでなった。
この日の会談でも、それまでの「第十堰は障害物」的な発想ではなく、堰が持つ文化なども尊重し検討していくという流れになったのは評価してもいいことかもしれない。
が、まだまだ安心はできないけれど。

December 07

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国交省からの帰り、王子駅で途中下車し、「王子100人劇場」へ寄った。
この映画館のサービスとして、毎週水曜日は大人1000円で映画を見れることを最近知ったのだ。
で、ただいま上映中の「三丁目の夕日」を見た。

December 07

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キャノンのデジタル一眼レフカメラ「D5」を購入した。
ついでにレンズを2本とストロボも購入。

キャノンのカメラ機材を使うのは、高校1年生のときに中古で買った「T70」以来のこと。
それからはずっとニコンのカメラだけを使っていた。
が、徐々にデジタルでの仕事注文が増え、今回思い切ってキャノン製のデジカメを導入。
ニコンのデジタル一眼レフカメラも使ってみたものの、どうもしっくり来なかったということでNG。
これからレンズと追加ボディを買い足し、今後はキャノンの機材で仕事します。
といっても、フィルム100%の撮影仕事では、従来通り使い慣れた機材を使うつもり。

が、内容によってはメインはデジタルだけどフィルムでも撮影することもあり、運べる機材量のことを考えると、レンズが共有できるキャノンのフィルムカメラも買わねばいけないのか。
すごい出費。鼻血でそう。

ハウジングの関係で水中写真は今まで通りだけど、今日という日はぼくのなかで大転換の日。
吉と出ればいいけれど…

December 08

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最近、燻製に凝っている。
燻製器はホームセンターで購入したステンレス製の排気ダクトに、100円ショップでみつけた金物を蓋にしただけの自作品。

今日は10日前から準備というか仕込みをしていた豚バラ肉を2時間ほど燻製。
塩加減もちょうどよく、けっこう自分でも美味しいと思えるベーコンができた。
これがウィスキーのつまみによく合うんだ。

December 09

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水源開発問題全国連絡会(水源連)が年に一度開催する総会に参加。
今年の開催地は、八ツ場ダムが計画されている吾妻川の下流に位置する群馬県中之条町。
早朝。仲間とともに普通電車に揺られ、会場へ向かった。
全国津々浦々から集まった参加者たちから、それぞれが抱える問題あるダム計画についての報告を聞いた。
総会終了後、八ツ場ダム計画地である長野原町の川原湯温泉へ移動し、投宿。

December 10

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日の出前。
総会参加者たちと川原湯温泉の町を歩いた。
細い路地を挟むように続く旅館や温泉。
その情緒ある景観も八ツ場ダム計画の水没地という理由で道路の拡張から取り残され、建物を新築することもできないがために、いまに残る。
ダムの話を聞いた、そこに暮らす人の話を聞いた、将来の不安を聞いた、ダムに沈む温泉の話を聞いた。

八ツ場ダム計画は群馬のいち地域のみが抱える問題ではなく、首都圏に暮らすぼくらひとりひとりが考えなければいけない問題なのだ。

八ツ場ダムを考える会

December 11

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八ツ場ダムを造るにあたっては代替地を用意するから安心して任せてほしい。
これまでと同じ土地で暮らすことを希望する水没住民の方々に対し、国が示した姿勢である。

山を削り、谷を埋め、いまだ造成中の代替地を見た。
この代替地を購入するためには、現在の川原湯温泉の土地価格を大きく上回る費用が必要だという。
土地の値段に造成費用分が組み込まれているためだ。

国は補償協定を結ぶにあたって、代替地へ移る際の金銭的なことはいっさい話さなかったらしい。
それでも「国が嘘をつくはずがない。安心して任せよう」と、次々と補償協定が結ばれていったという。

水没予定地に暮らす人たちのなかには土地を持たない借地の方々が多いという話も聞いた。
その補償金では、とても代替地の土地は買えないことも聞いた。

代替地の隅に奇妙なものをみつけた。
工事道路脇に積まれた小枝と「小動物のビオトーブ(野生のいきものがくらす場所」を書かれた看板がそれ。

「ここは、ネズミやカエル、カミキリムシなどの小動物が隠れ場所・子育ての場所として利用します。目的:工事による環境変化がネズミやカエル、カミキリムシなど小動物に影響するのを緩和させるための安全装置です」

こんな看板を立てる前に、もっとやるべきことがあるのではないか。

December 11

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雪が舞う草津へ移動し、品木ダムへと向かう途中、玉突き衝突をしたクルマを見かけた。
警官いわく、ノーマルタイヤでの事故だという。
起こるべきして起きたというか、呆れるばかり。

December 11

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上野〜浅草〜銀座〜霞ヶ関とまわった日。

霞ヶ関では国交省内で開催された河川整備基本方針検討小委員会(第29回)を傍聴。
先月来から河川基本整備方針の策定を決定する場としての同委員会が国交省で開催され、これまでに四国・吉野川をはじめとする多くの河川で審議という審議が行われることなく「河川の憲法」となる河川基本整備方針が承認され続けている。

今日の委員会では、九頭竜川水系(福井県)・高津川水系(島根県)・鳴瀬川水系(宮城県)の3水系の河川基本整備方針が審議され、最後は議長一任というカタチで承認され、策定への手続きへと進んだ。
昨年の福井豪雨を受け、多少なりとも議論らしいことがあるだろうかと期待したものの、吉野川や利根川同様ほとんど異議らしいものはなかった。

December 12

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December 13

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新宿でカメラを購入後、久しぶりに「BERG」へ立寄り、ハーフ&ハーフを飲んだ。
美味いビールを飲み、毎月発行されるBERG通信に目を通す。
その通信の内容を見て、ちょっと驚き、やるなぁとこちらの気分も高揚する。
毎回掲載の店長コラムの今号のタイトルは「マイシティーVSベルク」。
BERGの店舗が入っているMYCITYについて、これでもかというぐらい啖呵をきっているのだ。
まるで挑戦状といった感じだろうか。
こういったことをすぐ表明してしまうのが、いかにもBERG らしい。
でも、いちファンとしてはBERGがこの建物から出ていってしまうのは寂しいので、どうかいつまでもここに居続けてください。

December 14

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神楽坂の路地にある隠れ家的雰囲気の漂うお店で、お酒を飲んだ。
児童図書を出版している編集者の方たちに誘われ、忘年会に飛び入り参加させてもらったのだった。

一次会が終わり、そろって二次会の会場へ足を運ぶ途中、おおきなまあるい月を見上げた。

東京の空に浮かぶ白い月が、電柱に生けられた献花を照らしていた。
献花には短い文章が添えられていた。
それは亡くなった方の父親が綴ったものだった。
息子さんを慕って献花を行う友人の方々に対して感謝の言葉があり、献花や線香を焚くことを「今しばらくお許しください」と近所の方々へ気遣う言葉がそこには綴られていた。

お酒に酔ったのだろうか。
月がにじんで見えた。

December 15

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時計の針が午前2時半をまわり、さきほどやっと荷物をまとめ終わりました。
今日からしばらく日本を離れ、ちょっと南の国へ出掛けてきます。
仕事と遊びが半々の旅ですが、久しぶりの外国で気持ちが高ぶっています。
まだ見ぬ風景や出会いへの期待感といえばいいのでしょうか。
少し早い挨拶ですが、みなさん良いお年を。

December 22

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昼食後。
アオザイを着たキャビンアテンダントに窓の日よけを降ろすように言われ、暗くなった機内に昼寝時間が訪れた。
眠る眠る。
1時間と少し、深くなり浅くなりつつ睡眠をとり、目が覚めた。
まわりを気にしつつ、窓にほんの少しの隙間をつくり、外を眺めた。
赤茶けた大地。
蛇行する河川。
座席前にある液晶モニターに表示された地図では、中国のShaoguanという街の上空らしい。
高度31500フィート。
焼き畑なのだろうか、いたるところから煙があがり、それが一本の大きな筋となって、南へ灰色のラインをつくっていた。
遥か遠くにそびえる山脈。
ハノイまであと1時間と少し。

December 22

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午後3時過ぎ、ハノイ郊外にあるノイバイ空港着。
現地の日系企業で働く友人のKさんが迎えにきてくれた。
空港からハノイ市内までは、市バスに乗って移動。
車窓越しの光景を飽きずに眺め、約40分で終点のキムマーバスターミナルに到着。
そこでバスを乗り換え、旧市街地にあるKさんのアパートへ向かった。
初めてのベトナム。
市内に近づくにつれ増え続けるバイクの数に圧倒される。

December 22

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December 23

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Kさんと晩飯を食べた後、ホアンキエム湖東側にあるナントカというBARに行った。
ぼくがライブを見てみたいとお願いしたのだ。
その店は外人向けというよりも地元の裕福そうな方たちが主な客層で、女性の踊りとライブを売りにしている店らしかった。
ぼくらは一見さんなので、サンタクロースの帽子を冠った女の子がテーブルにつくフロアには入れてもらえず、フロアを少し見下ろすカウンターの席へ案内された。
晩飯でビールを飲み過ぎ、ウィスキーでも飲もうとメニューを眺める。
シングルで50,000ドン。小瓶で400,000ドンくらいだった。
ちなみに1,000ドンで、約7.4円。
日系企業で働くワーカークラスの月収がだいたい100万ドン(7,400円)くらいだというので、高級店と言ってもいいかもしれない。
でも、店内はかなりの混みようで、若い人の姿も多い。
それでも個々のテーブルには注文されたウィスキーやワインのボトルの姿があり、ちょっと驚く。
お金持ちはどの国にでもいる。
ぼくらはウィスキーシングルをそれぞれ飲んだ後、一番安い値段のビール(30,000ドン)に切り替えた。

December 23

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Kさんが会社を休んでくれたので、本日はふたりで遠出をすることになった。
旧市街のレンタルバイク屋で台湾製バイクを借り、観光地として有名なハロン湾を目的地にツーリング。
バイクレンタル料は、一日5ドル(約80,000ドン)。

ベトナムにオートバイの免許制度があるのかとKさんに聞くと、一応あるとのこと。
しかしKさんは無免許で走り回しているし、Kさんだけでなく多くの在住外国人も無免許だという。
ちなみにレンタル屋でも、免許有無の確認はいっさいなし。
それで捕まったりすることがないのかと聞くと、無免許で罰せられることはほとんどなく、ポリスから何か因縁をつけられてもお金で解決できる問題だという。
またベトナム人でさえ無免許が多いと聞き、それならばと思い、バイク二台でハロン湾を目指すことになったのだ。

December 24

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ハノイから約100kmぐらい走って、ベトナム北部最大の港湾都市であるハイフォン(Haiphong)に到着。
ハノイ〜ハイフォン間は片側2車線の有料道路。
といっても自転車が走り、歩いている人もいる普通の道。

ハノイ市をはじめ、街中ではほとんどの人がヘルメットをかぶらずにバイクを乗っている。
けれど政府が数年前にヘルメット装着を義務つけてからは、ノーヘルは違反行為なのだという。
でも「赤信号みんなで渡れば怖くない」なのだろう。
市内でヘルメットをかぶっている人は、本当に少数なのだ。
それで大きな事故がないといえばそうでもなく、年間1万人近くが交通事故で亡くなっていると聞いた。
しかし現状では街中の取り締まりはお手上げ(取り締まる気がないともいえるかもしれないけれど…)で、放置状態といえるかもしれない。
それでも郊外に出ると取り締まりが行われることもあるとかで、ヘルメット装着率が高くなるのが興味深い。
ぼくもみんなのやり方に従い、市内ではノーヘル、郊外の道ではヘルメットを装着。
あくまでも自己責任で。

ハイフォンで日本のODAで造られた大きな橋を渡った。
在ベトナム日本大使館のサイトを見ると、我が国の対ベトナムODA費は1991年から2004年までの累計で約11,081億円。
この金額が高いのか安いのか妥当なのか、ぼくにはわからない。
ベトナムでのODAでは、橋の建造をはじめトンネルや道路建設などのインフラ整備のほか、医療支援等の無償援助があるという。

ベトナム側の受け入れ環境が整備されるにしたがって、日系企業の進出が相次いでいる。
現地で工場を建て、日本と比べると破格の安さの労働力を使って製品をつくり、その結果、我が国の企業が利益を得て、日本を支えている。
それを考えると、本当に「地元の人たち」が必要だと思っている事業に関しては、どんどんODAをしてもいいのではないかと思う。
でも現状では、もうすでにぼくらの国は他所の心配するほど余裕がないのも事実。
06年度末で我が国の借金は約775兆円との見通しで、国民ひとり約607万円の借金だという。

一般会計79兆6860億円 来年度予算政府案を決定

おーい、ニッポン。
なんてことも考えながら、ハロン湾を目指した。

December 24

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イエ〜イ。
薄曇りのなか、午後1時過ぎにやっとハロン湾到着。
トリップメーターを見ると、ハノイから約150km走ったことになる。
といっても、着いたのは初めて海が目の前に現れた場所で、ハロン市はまだだいぶ先。
なおかつこの場所からは世界遺産に指定されている無数の奇岩が点在するエリアがまったく見えない。
でも一応、ぼくらはバイクでハロン湾に着いたのだ。
Kさんとお互い写真を撮り合い、水を飲み、帰路につく。
滞在時間、たぶん5分。
顔が真っ黒になるほどの排ガスとホコリのなか、再び路上を走り、一路ハノイへ。

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夕方、無事にハノイへ戻り、夜はKさんの知り合いで日本語を勉強しているベトナム女性とカフェで会った。
大学を卒業したばかりの若いふたりに、ベトナムの若者文化についていろいろと質問することができ、楽しい時間を過ごす。
その際、バイクの免許のことを訪ねると、バイクを運転するベトナム人のほとんどが免許を持っているとの答え。
あれっ?
「じゃあ無免許だとどうなるの」と聞くと、ものすごい罰金を取られるというではないか。
でもそれも人から聞いた話で、身近に罰金を払った人はいないという。
それに彼女たちに限った話かもしれないが、普通はバイクで遠出をしないのだとか。
ハロン湾までバイクで出掛けたというと、かなり驚いていた。
男友だちを含め、まわりにそんな人はいないのだそうだ。

クリスマス・イブの夜。
カフェからの帰路、ものすごいバイクの洪水に遭遇。
クルマの台数をはるかにしのぐバイクが道路にあふれ、大渋滞。
ハノイ市民の多くは何か特別なことがあるとバイクに股がって街中を走りまわるらしい。
今秋、東南アジア諸国で争われるサッカー大会で、ベトナムがライバルであるタイに勝利した晩は、もっとすごかったという。
手に手に国旗を持った人たちがロータリーをバイクで何周も走りまわり、なぜかみんなが集まりたがるホアンキエム湖周辺は次々流入してくるバイクで身動きがとれないほどだったという。
このエネルギー、なんかすごい。

December 24

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日曜日。
ハノイ市北側に広がるタイ湖へ出掛けた。
休日とあって家族連れやカップルの姿が多い。
で、日本の観光地でもよく見かける足漕ぎボートを発見。
でもよくよくみると、頭に赤いトサカがあるではないか。
まつ毛が描いてあるのはわかるとして、白鳥にトサカはないだろう。
それともベトナムにはトサカのある白鳥が存在するのだろうか。
あれはニワトリ。なんてことはないよなぁ。

December 25

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December 27

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街を見下ろすカフェで、年賀状を書いていた。
出国前日にポストカードが納品されたため、そのままベトナムに持ってきていた。

街並の先に黒い煙がすごい勢いで天へのぼっていくのが見えた。
カフェを後にし、煙を目印にして現場へ向かった。

迷うことなく、現場に到着することができた。
すでにたくさんの見物人が燃えさかる住宅を囲んでおり、ぼくも彼らに交ざって事の成り行きを眺めた。

ワックスでよく磨かれた日本の消防車を見慣れると、なんとお粗末なという感想を持ってしまう消防車がまだ到着する前。
煙と熱さにいぶされたのか、何匹ものネズミが姿を現し、屋根や路地を伝って逃げていくのが見えた。

炎が大きくなるにしたがって、見物人もまた膨らんでいった。
重い腰をあげたのか、ポリスが見物人の排除を始め、けたたましいサイレンを鳴らしながら数台の消防車が到着した。

運び出された荷物が路上に無造作な姿で積まれ、雨に濡れていた。
ひとりの女の子が濡れた教科書を片付けているのが見えた。
どうやら延焼は防げたみたいだった。

December 27

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夜。
Kさんと旧市街にある歴史あるジャズバーへ出掛けた。
お気に入りとなったビア・ハノイを飲みながら、久しぶりに音楽を聞いた。

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December 29

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夕方まで外へ出ることなく、原稿を書いていた。
夜、腹が減ったので街へと飛び出し、ビールを飲んだ。
なんだかひどく酔いがまわり、身体がだるく、頭がどんよりと重かった。
店を出た後、ホアンキエム湖のまわりをゆっくりと歩いた。
冷たい風が火照った身体に心地よかった。

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Kさんの古くからの友人である浅野さんとホーチミン市で合流し、3人でメコンデルタ最大の都市であるカントー(Can Tho)へ向かった。
ホーチミン市在住の浅野さんはマングローブの植林計画を行っているNGOスタッフで、10年以上前からベトナムに滞在し、紛争や環境悪化で荒廃したマングローブ林の再生を手がけている。
今回は通訳兼道先案内人として、ぼくらの旅にご同行してもらったのだった。感謝。

ホーチミン市から西へ約150kmの位置にあるカントーへは、ミニバスといわれる16人乗りのバンで移動。
車内は冷房が効き過ぎくらい冷え、お客のためではなく運転手のためにかかっている音楽が終始ガンガン鳴っていた。
それでも多くの人が利用するバスと比べると、ミニバスでの移動は快適だという。
金額はバスの運賃よりも若干高いぐらいで、行きに支払ったホーチミン〜カントー間の料金はひとり60,000ドン。
ただミニバス業者も様々あり、価格競争が起こりつつあると聞いた。
幅2kmぐらいの流れをフェリーで渡り、カントー到着。
約4時間のドライブだった。

December 31

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カントー到着後、さっそく貝を穫る親子と出会った。
日本のシジミ掘りのように川底の土砂をまとめてすくいあげてはフルイにかけていた。
ぼくも水際まで降り、何枚かの写真を撮らせてもらう。
幸先のよい出会い。

December 31

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午後、カントーの水際を歩き、気持ち良さそうに川で泳ぐ子どもを見かけた。
夕方、一時間3ドルで貸し切った小さな木舟に乗って、クリークと言われる支川を見てまわった。
日が暮れるにしたがって、川へ入り、身体を洗う人が増えていった。
ぼくらをみつけ、川岸で「ハローハロー」と手を振ってくれる子どもたちと次々出会った。
川で洗濯している女性に手を振ると、はにかみながら照れた笑顔で手を振り返してくれた。
あたたかいもので気持ちが満たされていった。

暮らしのなかに川が生きていた。
来てよかったな。心底そう思った。

2005年、最後の日にて。

December 31


November 2005-January 2006