September 01
徳島県木頭村の前村長である藤田恵さんと藤田さんの兄である森口さんに案内され、高知県を流れる安田川へ出掛けた。
車を使っても徳島市内から5時間ほどかかり、狭いようでいてけっこう広い四国を再認識。
朝。安田川に近い宿で目を覚ます。
窓から見える空は、夏の気配漂う快晴。
撮影日和になったことに、とりあえず感謝。
でも、喜んでばかりはいられない。
安田川へ来る途中で見かけた川は、どの川も水量が乏しく、川底が干上がり、断流している河川が少なくなかったのだ。
本来の流れとはほど遠い、川の姿。
降雨不足の影響が一番大きいのだろうが、流域の山林荒廃など原因はいろいろあるんだろうな。
朝食後、藤田さんたちが行う「シャクリ掛け」を撮影するため、ウェットスーツに着替えて安田川へ入る。
「シャクリ掛け」とは、箱メガネ等で水中を見ながら、針で魚を引っ掛けて釣る方法のこと。
主に狙う魚は鮎で、安田川では地元の「川ガキ」もこの釣り方で鮎を狙う。
水中メガネで川をのぞくと、至るところに鮎の姿があり、その豊富な生息数に感心する。
大きさは20〜28cmくらいか。
透明度も高く、川底に土砂が溜まっているわけでもなく、一同「さすが安田川」だと再び感心。
通常よりも細い流れだが、ほどほどに水が流れているため、釣りには支障は無い。
川に水がある。そんな当たり前のことがとても有難い。
早速、竿を出してもらい、次々と釣り上げられていく鮎のほか、2人の様子を水中と陸上から撮影する。
が、ずっとウェットスーツを着ていたのがいけなかったのか、軽い熱中症気味になってしまった。
夕方、撮影をなんとか無事に終えることができ、大量の鮎とともに徳島へ戻った。
途中、徳島県日和佐町の野田さんの自宅へ寄り、アラスカ帰りの野田さんの元気そうな姿を見てホッとする。
夜。藤田さんのご好意で自宅に泊まらせていただき、水風呂に身体を沈め、体温の調整がうまくいかず熱を保った身体をクールダウンさせた。
September 02
September 03
早朝。写真展設営のため、浜松へ向かった。
新幹線車内では爆睡。
静岡駅に停車し、車内が騒がしくなったことで、やっと目覚めた。
でも、まだまだ身体は寝ボケ状態。
再び眠り込んでしまわないように、耳に付けていたイヤホンを外し、iPodを仕舞った。
なんとはなしに車内に充満する賑やかな話声を聞いていると、通路を挟んだ隣席の声がひときわ目立っているのに気付いた。
隣席に座っていたのは、小さな2人の男の子と女の子と母親。
気になった声の正体は子どもではなく、母親のものだった。
「ペットボトルをちゃんと持ちなさい」
「ちゃんと座りなさい」
「よしなさい」
「やめなさい」
「〜なさい。〜なさい。〜なさい」
母親は1分間に何度も「〜なさい」という言葉を口に出し、その言葉は途切れることなく続いた。
男の子は無邪気なもので、何回も「〜なさい」と言われても、新幹線の旅に興奮し、楽しくて仕方ないって感じだった。
ぼくには、子どもたちがちゃんと座っていたように見え、ペットボトルを持っているように見えたんだけどなぁ。
ペットボトルのことで注意された女の子は、少し怒ったような顔で「もういらない」とふてくされていた。
人に注意や命令を促す言葉のオンパレードに、こちらまでもが気分が悪くなってくる。
「あの〜、一番うるさいのはお母さんなんですけど」と、口に出掛けたところで浜松駅が近いと車内アナウンスが鳴った。
日常的に抑制されて生きていくのって、けっこう辛いよなぁ。
September 04
午前9時過ぎ、浜名湖ほとりにある「地球のたまご」に到着。
OMソーラーのスタッフの方が前もって切り出してくれていた竹などを使い、6000坪近いビオトープを展示空間として使用し、作品を設置していく。
今回、こちらで開催させていただく展示は、ぼくの「川ガキ写真展」の原点といえるコンセプトに基づいて設営場所や展示作品を練ったもの。
「川ガキのいるところ」というタイトル通り、しぜんな感じで“川ガキ”がそこに生息しているかのような雰囲気を作ったつもり。
後半は、前半とはまったく違い、写真を使って遊んじゃったけどね。
心配された雨マークの天気はなんとか曇りで落ち着き、力仕事を必要とする作業を設営初日に終えることができた。
一緒に汗を流し、力と知恵を使って協力していただいた10人のOMソーラーの方々に、本当に感謝!
September 04
浜松駅に近いホテルで寝ていると、窓を叩く雨音で目覚めた。
時計を見ると、針は5時を少しまわったところだった。
「今日は一日中、雨なんだろうな」と考えたら眠気が覚めてしまい、仕方なくテレビのスイッチを入れた。
東京で時間雨量100mmの局地的豪雨が降り、3000戸近くが浸水したと伝えるニュースに触れ、かなり驚いた。
北区も石神井川があふれ、道路が冠水したという。
テロップでは「浜松〜掛川間も雨の影響で新幹線ストップ」と流れ、ますます気が重くなる。
じたばたしても仕方ない。
とりあえず朝飯を喰おう。
バイキング方式の朝食で、腹が一杯になるほど米を食べた。
新幹線は通常運行に戻ったようだった。
再び写真展会場へ。
雨具を着て、貸してもらった長靴を履き、昨日の設営の続き。
時間が経つにつれ、風が強くなりはじめた。
朝食を腹一杯食べたことで、昼飯をとらずに作業を進めることができ、15時に設営完了。
手早く着替え、浜松へ移動し、新幹線に乗った。
さすがに腹が減り、新幹線ホームで自分へのご褒美がてら1200円の「うなぎ弁当」を購入。
車内で弁当の蓋を取り、がっかり。
冷えていたせいかもしれないが、味もがっかり。
1200円の価値があるとは思えないが、これも勉強料かなと諦めた。
とりあえず腹は少し満たされたわけだし。
再び新幹線ストップになったら目もあてられないと、早く東京に着くことだけを考えての行動だけど、ちゃんとした店で「うなぎ」を食べておけばよかったかなとも、今では思う。
September 05
September 06
September 07
September 08
先日、車を買った。
河原や林道を走ることが多いので、購入したのは中古の四輪駆動車。
手続きがすべて終わったとの連絡をもらい、千葉の勝田台まで受け取りに出掛けた。
納車後、そのまま千葉から甲府へ移動し、この車にキャンピングカーの機能を持たせるためキャンピングカー会社へ車を運んだ。
高い“道具”を買っちゃったなぁ。
September 09
甲府へ到着後、目指すキャンピングカー会社へ向かう前に、空地に車を停め、ハサミを手に草むらへ入った。
お目当てはススキの穂。
ススキを刈り、車を預ける手続きをし、「あずさ」に乗って帰宅。
生け花とは、家に居ながらにして自然を感じることの出来るひとつの方法かもしれない。
September 09
今日から一泊二日で青森出張。
期日前投票を済ませ、羽田へ向かった。
投票所は、投票前日ということもあってか、かなりの賑わい。
若い人よりも、年配の方が多いのは土地柄なのかもしれない。
昨日発行の朝日新聞に、今回の選挙に対する医師・中村哲氏の興味深い意見が掲載されていた。
中村氏は、長年に渡ってアフガニスタンで難民医療を行う一方で、井戸掘りなどの生活再建活動にも力を入れている方である。
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今回の選挙は無理やり「劇場」に連れ込まれ、見せつけられている「芝居」のような気がする。
でも、それだからこそ、将来を決定する重要な決断は事実を見極め、軽々に決断を下さず。踏みとどまり、立ち止まって決めることが重要だ。
あれもしてくれる、これもしてくれるという「足し算」で人を選ぶのでなく、少なくともこれには加担しないといった「引き算」で考える必要があるのではないだろうか。
2005年9月9日付・朝日新聞オピニオン面から一部引用
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September 10
昨夜は三沢空港から野辺地へ移動し、駅前のビジネスホテルに宿泊。
目覚めると、夜半から降り出した雨は見事に晴れ上がり、雲ひとつない空が広がっていた。
爽やかな風がなんともいえず、心地よい。
野辺地郊外で仕事をし、その合間に陸奥湾を眺めたりもした。
澄んだ大気のおかげで、恐山もよく見えた。
一方、海水浴場へと降りる道で見かけたのは、「犬・猫立ち入り禁止」の看板。
当の海水浴場はすでに閉鎖され、人の姿はない。
衛生云々を言うのであれば、六ヶ所村にある原子力施設の方が比べ物にならないくらい問題があるのでは。
September 11
仕事が終わり、三沢空港に着いたのは午後3時を少しまわったところだった。
東京行きの便が出るのは19時30分。
周辺は空港以外に何もなく、空港内には小さなレストランと土産売店があるくらい。
その唯一のレストランも準備中で、開店は17時過ぎだとか。
仕方なく、屋上にある展望デッキにあがり、飛行場を眺めることにした。
展望デッキへ行くには2階奥にある階段を使うのだが、階段を登るには100円を払わなければいけない。
財布を取り出すと100円硬貨が見つからず、どうしたものかと悩んでいると、掃除のおばさんがやってきた。
「100円を払う価値のある眺めですか?」
「何にもないところだよ。でも、100円がなくたってこうやって通れちゃうんだよ。おいで」
おばさんは自分の言葉が言い終わらないうちに、ゲートの下を潜り、階段を登ってしまった。
ぼくもおばさんに習い、後に続く。
展望デッキに出ると、先客あり。
若い2人の男性も、退屈しのぎにあがってきたという。
壁に取り付けられた古いスピーカーからヴァイオリンとピアノのスローな曲が流れ、目の前に広がる雲ひとつない空に似合っていた。
日が傾きはじめ、風景がしだいに黄色に染まっていく。
普段は戦闘機の爆音が響く空港だけど、なんと穏やかなんだろう。
売店で缶ビールを購入し、再び展望デッキへとあがり、風に吹かれながら、ビールを飲んだ。
ながい影紅く染まって風吹かれ
September 11
風が冷たくなり、展望デッキから2階の待ち合い室に移動し、ベンチに横になった。
ビールで酔いがまわったこともあり、すぐに熟睡。
1時間以上は寝ただろうか。
あたりが騒がしくなり眼が覚めた。
我がことながら、何処ででも寝ることができる性格に感謝している。
使用機到着遅れのため、出発が20分遅れるとのアナウンス。
混み始める前にレストランへ入り、晩飯を食べた。
羽田到着。自民圧勝の報を知った。
September 11
投票率が5年ぶりに6割を超えたという。
劇場型というより、激情型。
「難しいことは知らないけれど、とにかく“祭”に参加しておこう」といった気分だったのではないか。
あとで「騙された」と嘆くなよ。
暗澹たる気分。
September 12
September 13
早朝。上越新幹線を使い、長岡着。
駅前から取材先へ向かう途中、千歳(せんざい)仮設住宅前を通り過ぎた。
「いまでも多くの方が、この仮設住宅で暮らさざる得ない」とは、タクシー会社に勤めて2ヶ月の女性運転手の言葉。
中越地震が発生し、来月で1年。
目に見えるものと、見えないもの。見えないものの復興はそう簡単じゃない。
September 14
長岡での仕事を終え、新幹線で帰京。
夕立で濁った魚野川を車窓越しに眺め、東京駅で東海道新幹線へと乗り換え、豊橋へ向かった。
September 14
September 15
友人の盧佳世さんが自主制作CDを作るというので、ジャケットの写真撮影を協力。
夕方。ふたりで広い空を見渡せることのできる荒川堤防へ出掛けた。
CDに収録される歌には森や海などの自然描写が多いため、夕日のやわらかい光をバックに撮影。
凝ったことはせず、しぜんな感じを心がけたつもり。
September 16
September 17
September 18
自宅近くの荒川へ出かけ、堤防上の駐車場に車を停め、キャンピングカーのメンテナンス作業をした。
夏のような日差し。
堤防は、ランニングや散歩、犬を連れた人たちで賑わっていた。
都会のなかにあって、ここにはのんびりとした空気が漂っていた。
と、ここまでは良かった。
中年の女性が連れた小型犬・シーズがこちらに走ってきたのを境に、それまでの心地よさが一転し、最悪の気分に。
なんと足下においてあったぼくの荷物に、そのシーズが放尿したのだ。
一瞬のことでこちらが唖然としていると、おばさんは犬に対して「ダメよー」と声をかけるのみ。
それも笑顔で。
ちょっとそれはあんまりじゃないか。拭いていってほしい。と言っているにもかかわらず、謝るどころか近づこうともしないおばさん。
最後は濡れた荷物をティッシュで軽くこする程度には拭いていったが、目をあわせて謝ることなく「ダメね〜、○○ちゃん」と犬に対して叱るだけ。
犬の放し飼い、ノーリードは別にいい。文句はない。
犬が放尿したことも、まあ仕方ない。犬のやったことだ。まあ許そう。
が、飼い主の態度に対しては、いまも許せないでいる。
子供ならまだしも、50年以上も生きてあの態度とは。
September 19
September 20
September 21
September 22
September 23
September 24
September 25
September 26
September 27
September 28
早朝、都内を抜け、福島の「アクアマリンふくしま」へ出かけた。
2ヶ月という長期開催していただいた川ガキ写真展も無事に終了。
三脚をかつぎ、迷路のような飼育通路を歩いていると、ドライスーツ置き場となっている廊下に出くわした。
いったい何人分あるんだろう。
壮観な光景だなぁと、しばし感動。
September 29
September 30
昼間。ここだけはどうしても行かねばと常々思っていた「田中一村記念美術館」へ寄った。
複製に混ざって展示してある原画を丹念に見てまわった。
奄美滞在中に筆をとった「奄美の森シリーズ」の作品に引き込まれる。
ものすごく感動する。
夕方。名瀬港に面したホテルでくつろいでいると、海へ飛び込んでいる人を見つけた。
なんだろうと思い、駐車場に出ると、2人の子どもが泳いでいた。
よし、ぼくも泳ごう。
急いで部屋へ戻り、水着に着替え、水中眼鏡と足ひれを抱え、海で泳ぐことにした。
すると、少し離れた場所で遊んでいた子どもが自転車に乗って、ぼくの方へやってきた。
「おじさんも海で泳ぐのー」と、元気がいい。
「おー、君たちがここで泳いでいたから、おじさんも泳ぐ」と答えると、「あっちの堤防から一緒に飛び込もう」と誘われた。
ひとしきり一緒に飛び込み、短い橋で渡された島と岸壁を何度か泳いで往復する。
橋のたともに「遊泳禁止」の看板があるのに気付いたけれど、子どもたちはいつもここで遊んでいるというので、そのままぼくも遊ぶ。
夕立が海面に激しいしぶきをつくる。
でも、子どもたちは一向に海からあがらない。
「川ガキ」も「海ガキ」も一緒だなぁ。
September 30
夜。奄美島唄を代表する唄者・西和美さんが店主を勤める「かずみ」に出掛けた。
料理の合間に西さんが唄を披露し、地元の常連さんたちが代わる代わる唄を歌い、三線をひいていく。
黒糖焼酎を飲み、唄を聞き、疲れたココロにあたたかいものが満たされいった。
September 30
August 2005-October 2005