
早朝7時。
直江津港にて、佐渡の小木港へと向かうフェリーに乗船。
岸壁を離れた船上で、カモメとしばし遊んだ。
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佐渡に到着後、島の西北にある長手岬へ移動し、テントを張った。
ここが今回のロケ(遊び?)のベースキャンプ。
海に面した茶屋をのぞき、店番のおじさんに話し掛けると、開口一番「暇だ」との声が返ってきた。
なんでも新潟県中越沖地震後、予約のキャンセルが相次ぎ、客足がぱったり止まってしまったのだという。
そのため一年で最も混み合う時期にも関わらず、ほとんどぼくらの貸し切り状態。
近くのホテルも同じような状況で、風評被害による深刻な問題が起きていることを知った。
テントを張り終えた後、カヤックで海に漕ぎ出してみた。
まるでシルクの上を漂っているような、穏やかな海原がどこまでも広がっていた。
夏の佐渡は最高。
夏休みの予定がまだ決まっていない方は、ぜひ佐渡へ!
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日本海を一望するキャンプ地にて、水平線に沈む夕日を眺めた。
泳ぎ疲れた身体に、海を渡る風が心地よかった。
一番星が空に浮かび、月が顔をのぞかせた。
時間はたっぷりとある。
静かな波の音を聞きながら、今日一日のことを語り合った。
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今日もよく遊んだ。
雑魚党の面々が各自捕まえた魚を食材にして、蜂須賀公之さんが寿司を握ってくれた。
これらの様子は、9月10日発売の「BE-PAL・10月号」をご覧ください。
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佐渡最終日。
午前中ですべての取材が終わり、午後は佐渡を流れる某河川にて「川ガキ」になって遊んだ。
水はどこまでも清冽で、目の前を横切るのは鮎やヤマメ、イワナなど。
雑魚党の本領発揮というべきか、次々と獲物が捕まえられ、そのたびに歓声があがった。
その姿はまるで子どもそのもの。
ぼくも今年初めての「玉シャクリ」を行い、鮎を数匹ゲット。
今回のロケは海遊びがメインだったけれど、やっぱりみんな川が好きなんだなぁ。
August 03 | Comments(2) | TrackBacks(0)

楽しかった川遊びも、帰りのフェリーの関係で終了。
心配された台風も速度が遅いことが幸いして、青空の下でロケを終えることができた。
夕方になると雲が広がり、海原が鈍く光った。
近くて楽しい佐渡の魅力を再認識し、後ろ髪をひかれつつ、直江津港へ渡った。
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佐渡でのロケを終えて、4日ぶりに帰宅した。
昨夜はまっすぐ帰るみんなと別れ、少し寄り道をして諏訪SAで仮眠。
涼しい風に吹かれて疲れをとった後、ミスティックへ寄って車の不具合箇所を修理してもらった。
これで完璧。心配ごとがなくなった。
久しぶりの我家は、“灼熱地獄”という言葉がぴったりとくるほどの蒸し暑さ。
窓を全開にして、風を取り込もうと必死になるが、期待するほど気温は下がらず。
さすがにクーラーが欲しくなるが、数日後から再び長期出かけることを考えると「まあ、なくてもいいか」という気分にもなる。
水シャワーを浴び、ぼんやり窓の外を眺めていると、近くて遠い空から花火の音が聞こえてきた。
音だけで味わう花火大会だな。
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August 05 | Comments(0) | TrackBacks(0)

製作依頼していたアクセサリーが完成したと連絡を受け、成田の「プルーフ」へ出かけた。
今回依頼したのは、水中でも脱着可能なアングルファインダー。
通常の横撮影だけでなく、縦カットでも使用可能なのが特徴。
このアングルファインダーを水中ハウジングに装着すると、水中眼鏡を使用しなくても半水面写真を撮ることができるのだ。
これで表現の幅が広がるといいけれど…。
夏は始まったばかり。
今夏はこいつを使って、良い写真を撮りまくるぞ。。
August 06 | Comments(0) | TrackBacks(0)

成田からの帰り、印旛沼のほとりに車を停め、暮れゆく空を眺めた。
稲穂が風になびき、ヒグラシの鳴き声がこだまする。
ただ、そこにある日常の風景。
失われて初めて気付く、大切なもの。
まわりを覆いつつある闇の深さに、自分を見失うことなく向き合ってみる。
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August 07 | Comments(0) | TrackBacks(0)

August 08 | Comments(0) | TrackBacks(0)

出発当日となって、ゴムカヌーに穴が空いていたことを思い出した。
慌ててバックからカヌーを取り出し、修理を行った。
これでたぶん大丈夫。
キャビンに替えの服や下着、遊び道具や撮影機材を積み込み、準備万端。
いざ、四国へ。
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昨夜は22時に自宅を出発。
本当は今日の早い時間に徳島へ到着することを考えていたけれど、SAに寄り道ばかりしていたら、浜名湖を過ぎたあたりで夜が明けてしまった。
こういうムードになると、一気にダラけてしまうのが悪い癖で、いまだ滋賀県の多賀SA。
東名や名神の各SAでは、無線LANサービスである「FREE SPOT」が設置され、ありがたいことにネット接続ができる。
これは移動人間にとって、本当に嬉しいサービス。
ぜひ東日本や西日本のロードサービスも、中日本エクシス株式会社に見習って、無線LANサービスを始めてもらいところ。
ということで、たまった日記の更新をしつつ、名阪・京都〜吹田間の事故渋滞が解消されるのを待っています。
August 10 | Comments(1) | TrackBacks(0)

昨夜23時過ぎに徳島市内へ到着。
吉野川の河川敷に車を停め、その晩はおとなしく就寝。
午前中に「川の全国シンポ」会場へ移動し、シンポが始まるまで会場で親しい顔をみつけては近況の交換をした。
シンポを拝聴。
以下はシンポに参加された愛媛新聞記者による3回連続記事。
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川は誰のもの・全国シンポ報告(上)住民参加 流域主導の治水必要
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住民の声を河川行政に反映させることなどを盛り込んだ河川法改正から十年。
川を流域住民の手に取り戻そうと「川の全国シンポジウム」(実行委員会主催)が十一、十二の両日、徳島市の徳島大で開かれた。
全国から住民団体メンバーや行政関係者、研究者ら約七百人が参加。
住民主導の河川整備が紹介される一方、いまだに河川行政が住民から遊離しているとの告発も相次いだ全国シンポを詳報する。
(社会部・秦俊太郎、大洲支局・山根健一)
河川工学や生態学の研究者のほか、経済学者、財政学者も出席し、それぞれの立場から河川の現状を分析し、問題提起。
オープニングでは宇沢弘文東京大名誉教授(経済学)と大熊孝新潟大教授(河川工学)が「社会的共通資本としての川」と題して基調講演した。
自然環境、社会的インフラ、制度資本の三つから成り立つ「社会的共通資本」の考え方を提唱する宇沢氏。
河川など社会的共通資本が官僚的基準で管理されたり、市場的基準でもうけの対象になったりしてはならないと警鐘を鳴らす。
その管理運営は専門家集団によって職業的倫理観に基づいてなされるべきだというのが同氏の考え方だ。
大熊氏はまず川を「地球における物質循環の重要な担い手であり、人間にとって身近な自然。恵みと災害という矛盾の中で、ゆっくり時間をかけて地域文化をはぐくんできた」と定義付ける。
ダムには「必要なものもある」と前置きした上で、上流の山から落ち葉や土砂が海に流れ、魚が遡上(そじょう)する循環を遮断してしまっていると非難。
ダムがない河川の現状保存と用済みダムの撤去を求めた。
治水の現状には、二〇〇四年夏の福井豪雨などを例に、ダムや堤防で災害を完全に防ぐことは不可能とし、「究極の治水の一つとして、被害が相対的に少ない地点で人為的に越流させ、破堤を回避することで洪水被害を最小限にとどめるべきだ」と述べた。
信濃川で約三十年前までは、洪水時にどの地点で越流させるかを住民が話し合いで決めていた事例を紹介。
「昔の日本人は地域住民の相談で被害を小さくしてきた。こういう考え方も社会的共通資本に位置付けられる。地形条件が違い平等でないからこそ、住民参加で話し合いの治水を行うしかない」と結論付けた。
シンポジウム二日目には、新地方分権構想検討委員会(〇六年一—十一月)の委員長を務めた神野直彦東京大教授(財政学)が講演。
地方六団体が設置した同委員会は河川管理の在り方を、同一都道府県内で完結している一級河川は都道府県に権限を移す▽複数の都道府県にまたがる一級河川も都道府県の広域連合で共同管理させる—ことを国に求めている。
神野氏は日本社会が成長重視から生活重視へとかじをきり、地方分権でそれを実現すると決めた一九九三年の国会決議の考え方を再確認。
〇六年当時、竹中平蔵総務相が経済成長について主張していた「強いところがより強くなれば、おこぼれが他へしたたり落ちる」というトリクルダウン効果の考え方を否定した。
同委員会がこれに対抗して打ち出した、下(地方)ができないことを上(国)が行う「補完性の原理」を紹介。
「泉のように下からわき上がるファウンテン効果。水の管理は下から上がっていくのが原則」と述べた。
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川は誰のもの・全国シンポ報告(中)地方分権 問題多様 権限求める声
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討論会「政治はどうやって川の問題を解決するのか」では、嘉田由紀子滋賀県知事、福山哲郎参院議員(民主)、春名直章元衆院議員(共産)、俳優の中村敦夫元参院議員の四氏がパネリストを務めた。
河川行政の地方分権や公共事業の在り方、縦割り行政の弊害などを議論した。
嘉田知事は地域社会学の研究者時代、琵琶湖周辺で数千カ所に及ぶフィールドワークをした経験を基に「川があふれてもそれぞれの地域で受け止め方は違う。治水は属地的、属人的で問題は多様だ」と述べた。
大雨の時、地域住民が徹夜で堤防を見回るなど自主的に河川を管理していた時代を「近い水」と命名。
その後、閉じ込め型治水や治水公費主義によって「遠い水」になり、現在は「行き過ぎた『遠い水』の反省期」と位置付けた。
知事として住民に公助に頼らない自主的な備えを求めたところ、ダムや堤防建設などハード整備に消極的だと疑われ、県民や議会から強い非難を受ける現実があるが「行政だけでは安全を守ることはできない」と強く主張。
洪水リスクを流域住民に正確に伝え、地勢の違いによる対策を立てるため、県に流域治水対策室を設置した独自の施策を説明した。
中村氏は参院議員時代に議員連盟「公共事業チェック・議員の会」の会長を務めた経験を持つ。
河川行政の地方分権について「地方に持っていった途端、かえって危ない実態がある」と地方が無駄な公共事業に走る危険性も指摘した。
嘉田知事はこれに反論し「地方自治体の仕事の80%は機関委任事務で、国は百年にわたり地方に考えることをさせなかった。自治体に潜在能力はあり、権限と財源を下ろすべきだ」と訴えた。
シンポジウム実行委員会による各政党アンケートの結果も報告された。
一級河川管理権限の国から地方への移譲について自民、公明が「反対」、民主、共産は「どちらとも言えない」との回答。
河川整備計画をつくる過程での住民参加の到達度は、自民が「十分」、公明、民主、共産が「不十分」と回答した。
参院環境委員会所属の福山氏は総論としての地方分権には賛成としつつ「十年、二十年のタームでどう権限移譲するのかが問題。河川だけを移譲しても混乱を招く」と発言。
春名氏は河川整備基本方針に住民意見が反映されず、情報開示も不十分だと現状を非難した。
福山氏はまた、民主党の施策として生態系保全法案を紹介。
「実現すれば、おのずと省庁横断となり縦割り行政の弊害が減る」とした。
嘉田知事も行政への住民参加の大切さ以上に「行政参加こそ大事」と述べ、行政の各部門が相互に対話することの重要性を強調した。
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川は誰のもの・全国シンポ報告(下)行政不信 住民参加の要望強く
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「国土交通省から派遣された大学教授は『ダムを造れば水がきれいになる』と言う。国交省は大うそつきだ」。
徳島県在住の世界的カヌーイスト野田知佑さんは国をこう追及した。
国交省職員時代、淀川工事事務所長などを務めた宮本博司さんも「住民の河川行政に対する不信感払しょくが必要だ」と強調。
「国は河川行政はわれわれに任せなさいという姿勢。住民は今の河川行政はやばい、川が排水路のようになり、生物、水質、地域環境などの点で問題があると感じている。そこに溝が生じている」と不信の構図をひもといた。
宮本さんは同事務所長時代の二〇〇一年二月、淀川水系流域委員会を発足させた。
一九九七年改正の河川法は関係住民、学識経験者、自治体首長の意見を聞き河川整備計画を策定するよう規定。
これに基づき設置された同委員会は徹底した情報公開、委員公募制などで評価された。
〇三年一月、「ダムは原則建設しない」との提言をまとめ、国交省は〇五年七月に「計画中の二ダムの建設を当面実
施しない」と発表した。
元委員長の今本博健京都大名誉教授は「改正河川法では治水、利水、環境が河川行政の三本柱だが、本来の在り方はそうではない。環境がすべてのベースだ」との認識を示し「ダムが環境に与える影響は極めて重大。
国はダムに固執するが、少なくとも治水対策は堤防など他の方法を採るべきだ」と国の手法に疑問を投げ掛けた。
愛媛ではどうか。
山鳥坂ダム(大洲市)建設という結論を導き出した肱川流域委員会(〇三年十月—〇四年三月)で、国は委員に住民を選ばなかった。
「ダムありきの委員人選」(日本弁護士連合会)との批判に象徴されるように、住民の国への不信は深まり、〇四年五月の肱川河川整備計画策定以降も根強く残る。
同じ法律下でなぜ差が生じるのか。
宮本さんは「各地域の河川管理者、地方自治体、住民のやる気次第」と指摘。
流域委員会が実効性を持つには「流域委の提言を受け、国が根本の部分まで変えられるかがポイント。根本にダムがあるなら、ダムを廃止できるかどうかだ」と主張した。
シンポジウムに参加した全国の住民団体からは「天塩川支流、名寄川の支流・サンル川にダムが計画され、天然サクラマスが遡上(そじょう)できなくなると危ぶまれている」(北海道)「利根川水系には十一のダムがあるが、新たに三ダムが計画されており、河川整備に住民も参加させてほしいと国に求めている」(関東)「徳山ダムの建設費が膨らみ、利水者の自治体は腰を引いている」(岐阜県)などと河川行政への告発が相次いだ。
シンポジウム徳島宣言は「真の治水実現には真の住民参加が必要」と高らかにうたう。
「真の住民参加」を突き付けられた行政の責任は重い。
August 11 | Comments(0) | TrackBacks(0)

2日間で延べ1400人が参加した全国シンポも、無事に終了。
こういったシンポには珍しく、若い参加者も多く、それがとても嬉しかった。
そしてまた「川の学校」の卒業生たちがスタッフTシャツを着て会場運営を手伝っている姿に、シンポの内容以上にとても勇気づけられた。
すべての川が「清く豊かに流れる川」であるために、目の前を流れる川だけでなく、どこか遠い場所を流れる川や未来を流れる川までも、忘れずにいることを強く感じた2日間だった。
以下は「川を流域住民(あなた)が取りもどすための全国シンポジウム」の徳島宣言と意見書。
ぜひ目を通していただけたらと思う。
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川を流域住民 が取りもどすための全国シンポジウム−徳島宣言
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「川を流域住民(あなた) が取りもどすための全国シンポジウム」が、2007年8月11日、12日に、吉野川第十堰の保全を求める住民の意思が表明されている徳島市で開催された。
このシンポジウムは、1997年の河川法改正以来、河川行政に流域住民の意見を反映させてきた試みが急に方向を転じ、再び河川官僚が中央集権的に河川行政を進めることに危機感を覚えた、川を愛する人々が結集して開かれたものである。
シンポジウムでは、以下のことが話し合われ、確認された。
1.
川は、森と海とをつなぎ、豊かな自然環境・生物の多様性を育んできた。
人々は、その川から多大な恵みを受けるとともに、災害という川との緊張関係の中に、日々のくつろぎや労働のよろこびを刻み、その記憶を何世代も継承し、川文化を形成してきた。
すなわち、川は流域社会のすべての住民にとって共通の財産として大切に保存し維持されるべき重要な社会的共通資本である。
2.
川は住民にとって運命共同体の場である。
そこから、川の上下流や左右岸で利害が対立することがあっても、相手の立場を思いやる精神で折り合い点を見つけ解決する、高度な流域自治の思想や文化が育まれてきた。
3.
明治時代以降の近代化と中央集権化の進展の中で住民と川との関係は薄れ、とりわけ高度経済成長時代以降は、川の諸問題はもっぱら治水・利水に限定した河川行政の管理下に置かれ、流域住民自らが川文化の形成に関わることが困難となってきた。
4.
しかし、現在でも、流域住民と河川管理者が意欲を持ち、流域の英知を結集できれば、流域それぞれでの住民参加型の「真の治水」が可能である。
特に改正河川法施行後の淀川水系流域委員会や武庫川流域委員会での長く忍耐強い活動は、どのような規模の川でも、住民参加型で自ら利害を調整する治水が行えることを示唆している。
5.
「真の治水」を実現するには、「地方分権」の理念のもとに、形だけではない真の住民参加による流域単位での河川管理と川を活用・運営する仕組みをつくる必要がある。
6.
人目につきにくい谷や河川敷などへ、廃棄物の不法投棄があとを絶たない。
また、河川の改変・ 分断により、土砂の流下が阻まれ、極端な河床低下や海岸浸食が進み、大切な生態系は荒廃している。
こういう河川環境の変化は、地域住民や漁業者でないと分からない場合が多い。
大切な水を汚染から守り、川の生物多様性を保全していくためには、地域住民と河川管理者が協働する必要がある。
7.
地球温暖化にともなう海面上昇が危惧されている。
海面が上昇すると、河口付近では洪水を流下できなくなり、現在の堤防では対応しきれない事態も予想される。
行政はすでにハザードマップを作成し情報提供を行っているが、住民と情報を共有するレベルには至っていない。
堤防の補強が完成するまでの自己防衛という観点からも、行政は住民との情報共有の場を作ることが必要である。
8.
現在の河川整備は、膨大な予算をともなうダムを中心とした治水・利水計画に固執し、非効率な公共投資のために税金の浪費が横行する結果を生んでいる。
今後は、ダムのみに頼らない総合的な流域治水を考えて行かなければならない。
以上のことを踏まえ、私たち住民は川への関心が薄れたことを反省し、流域住民として川への関わりをもつことの重要性を再認識した。
その関わりの場として、流域住民が自覚と責任をもって「流域 委員会」をすべての川で立ち上げ、現在の治水・利水計画を再検討することを求めるとともに、新しい川文化を再構築し、継承していくことを、ここに宣言する。
2007年8月12日
川を流域住民(あなた)が取りもどすための全国シンポジウム 参加者一同
(代表・シンポジウム実行委員会委員長・宇沢弘文)
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川を流域住民(あなた)が取りもどすための全国シンポジウム−意見書
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現在の治水計画の合理性には疑問が大きい。
すなわち、過大な人口増加と水需要を見込んだ無用の治水・利水計画に固執し、土砂の流下が阻まれ、極端な河床低下や海岸浸食が進み、大切な生態系が失われている。
そして、森林の生育状況の変化を考慮せず、流出計算から基本高水を設定し、それをダムと河道に振り分けるという手法がとられている。
しかし、その基本高水が過大であり、計画を達成するためには膨大な数のダムや巨大な放水路などを造る必要があり、環境、財政の両面から実現が不可能な状況にある。
一方、現実の水害では悲劇を生んでいる。
2004年7月13日の新潟豪雨水害で見られたように、上流ダム群の洪水調節には限界があり、河道のいたるところで溢流氾濫し、人家の密集地で高い堤防が一気に破堤し、激流となって家屋を破壊し、逃げる暇もなく高齢者を中心として死者を出した。
これは、現状の治水計画では、堤防を超える洪水が来たとき、溢れることを前提としていないために、どこで破堤するか分からず、破堤すると激甚な被害を発生させることを明らかにした。
1997年の改正河川法では、第3条に、伝統的治水工法である水害防備林が「樹林帯」として規定されており、溢れさせない治水から溢れることを前提とした治水への転換が期待された。
しかし、改正河川法以来10年が経過したが、治水と環境を同時に満足させる「樹林帯」は、阿武隈川水系荒川や十勝川の一部で指定されただけで、むしろ残されてきた水害防備林が次々と伐採される現状にある。
今後は、基本高水にとらわれることなく、溢れることを前提とした治水を推し進めることが必要不可欠と考える。
その場合、地形条件などによって、被害に遭うところと遭わないところがあり、平等を建前とする行政に対して厳しい課題を提起することになる。
しかし、なればこそ、住民参加が意味を持つと考える。
流域住民に課題を率直に情報公開し、「意味ある応答」がされる開かれた議論に徹すれば、利害を異にする流域住民同士で、相手の立場や困窮度を理解し、思いやりや地域の連帯の精神をベースに流域住民の自己決定による治水へと発展させることが可能である。
この決定方法は、河川技術者の技術者倫理にもかなうものであると確信する。
流域住民の参加による自己決定は、今までの淀川水系流域委員会や武庫川流域委員会で示されたように、改正河川法の中でも実行可能なことであった。
しかし、改正河川法に定められた住民参加の枠組みには不完全な部分があるがゆえに、住民が参加する流域委員会が中断され、聞きおくだけの場に変質している。
以上を踏まえ喫緊の課題として、以下の措置を講じることを要求する。
1.
洪水が堤防を溢流しても壊滅的な被害を発生させないために、樹林帯の保全・整備をはかるとともに、溢流しても破堤しない、比較的安価な堤防強化法を開発することを求める。
2.
流域住民参加による「流域自治」の治水をさらに発展させるためには、再度河川法を改正して、河川整備基本方針はむろんのこと、管理・活用運営の基本方針まで流域住民参加で決定するように義務づけること、また、河川管理を都道府県の事務として河川管理の分権化を推進することを求める。
3.
「流域自治」の治水を目指す中で、森林の治水機能を無視することはできない。
森林の治水機能は、良好な森林では豪雨時でも河川水が濁らないことに見られるように、定性的に明らかであるが、これを数値化していくことが求められている。
国土交通省には林野庁や農林水産省と連携し、森林の治水機能を治水計画に積極的に取り入れることを求める。
4.
未完成のものの見直しを含め、ダム計画の検討を合理的、公正に進めるため、政府が今年の4月に導入した戦略的環境アセスメント(SEA)の適切な適用を速やかに行うことを求める。
そして、総合的な流域治水計画の合理的、公正な検討のため、総合計画段階でのSEAの適用の推進も求める。
5.
流域住民から大きな疑問を投げかけられている公共事業について、技術者倫理にもとづき、真摯な態度で見直しすることを求める。
2007年8月12日
川を流域住民(あなた)が取りもどすための全国シンポジウム実行委員会
(委員長・宇沢弘文)
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シンポ終了後、友人たちと吉野川の第十堰に移動した。
今夜も昨夜に引き続き、ここでキャンプ。
夜の阿波踊りまで時間があったので、靴をサンダルに履き替え、越流する第十堰の上を歩き回った。
第十堰のちょうどまん中、陽光に反射する吉野川のなかに身を置くと、とても不思議な気がした。
瀬音が耳に心地よく、川に浮かんでいるような、そんな感じ。
光る水面と水飛沫。
第十堰に腰掛けて下半身を川に浸し、強い日差しに焦がされた身体を冷やした。
カヌーに興じる人たちの歓声が遠くに聞こえ、ぼくの姿に驚いた小魚たちが慌てふためいて泳ぎ過ぎていった。
August 12 | Comments(0) | TrackBacks(0)

阿波踊り初日。
徳島市内は踊りを観る人と演じる人たちの喧噪で、すごい賑わい。
強い西日が出番を待つ踊り子を照らし、蝉しぐれをかき消すように街角のあちこちで太鼓や鐘の音が鳴り響いていた。
ぼくも吉野川と阿波踊りが好きな人たちによる「吉野川連」に混ぜていただき、今年も阿波踊りを堪能した。
17時過ぎに「鷲の門」に集合し、その後いくつかの演舞場を踊り歩き、そのあいだの道々でも踊り、ビールを飲み、笑い合った。
21時過ぎ、すべての予定が終了し、今夏はこの日だけの「吉野川連」は解散。
踊り足りないような、不思議な高揚感のなか、合い言葉のように「またね〜」と声を掛け合い、人混みを後にした。
「吉野川連」の皆様、どうもありがとうございました。
August 12 | Comments(0) | TrackBacks(0)

吉野川の第十堰で朝を迎え、昼過ぎに友人たちと日和佐川へ向かった。
途中、晩飯にシジミの味噌汁を食べようと思い立ち、干潮時を狙って吉野川河口に立ち寄った。
みんなで手分けしてシジミを掘るも、予想していた量も採れないのが意外だった。
以前は、ここ掘れワンワン状態で、ひとりが30分掘るだけで家族4人分の味噌汁分が採れたのに。
あとで聞くと、なんでも4年前に来襲した台風によって川底の様子が変わり、その後シジミが激減したという。
台風による増水で上流から運ばれてきた大量の土砂が、それまで砂地だった川底に堆積したことが影響として大きいとのことだった。
たしかに15cmほど掘ると黒く硫化したヘドロのような層にぶちあたり、柔らかい印象だった川底が堅く締まっていたのが気になった。
それでも一時に比べ、だいぶ復活してきたとのことで、ちょっと安心した。
写真は石井さん提供の日和佐川キャンプ地の様子。
August 13 | Comments(5) | TrackBacks(0)

耳元で水音を聞きながら、うたた寝。
強い日差しに照りつけられては、川の流れで身体を冷やし、そうやっていつまでも寝転がっていた。
夕刻、野田さんがやってきて、焚火の前でハモニカを吹いた。
写真は昨日に引き続き、石井さん提供。
August 14 | Comments(0) | TrackBacks(0)

朝方、それぞれの目的地へ出かける友人たちを見送り、キャンプ地にいるのはぼくひとりだけになった。
さて、これからがぼくの本番。夏の始まり。
ひとりになった身軽さで日和佐川を撮影して回った後、誰もいない河原で身体を洗おうと思ったのが、いまになって思えば間違いだったかもしれない。
いや、ぼくがしっかりしていればなんの問題もなかったけど。
たぶん、注意力不足。
いつものことなので自分自身呆れてしまうけど、ここでコンパクトデジカメをたぶん紛失。
カメラを無くしたこともショックだけど、それよりもこの数日間に撮影したデータを失ったことのほうがズシンときた。
でも、無くしたモノのことをいつまでも引きずって後悔しても仕方ない。
潔く忘れたほうが、精神衛生上好ましいではないか。と、自分で自分を慰めた。
野田宅でコーヒーを飲んだ後、日和佐川に別れを告げて、すっかり見慣れた国道55線を西へ向かった。
August 15 | Comments(0) | TrackBacks(0)

ノンフィクション作家の沢木耕太郎氏が近著のタイトルを「246」としたように、みなそれぞれ自分の「国道」があるような気がする。
ぼくの場合でいえば、中学生になって自転車で遠出をすることに夢中となり、その頃頻繁に走った国道1号線が、それかもしれない。
横浜といっても海が近い訳ではなく、川を挟んだ向こう側は川崎という場所で生まれ育ち、休日のたびに1号線を走ってどこかへ出かけていた。
当時は事前に地図を食い入るように眺めては線を描き、その線をなぞるように自転車を走らせているだけで満足だった。
目的地は鎌倉だったり、小田原だったり、山下公園も数え切れないくらい出かけた。
ときには1号線を北上することもあり、用事もないのに東京タワーへ出かけたりもした。
気まぐれの塊のような自転車旅だったけど、事前に地図へ書き込んだ線を丁寧になぞることは忘れなかった。
だからぼくが持っていた地図上の1号線は、何度もなぞられた線のおかげで太く塗りつぶされていた。
目的地はどこでも良かった。
そこに至る過程というか、汗を流して自分の力で地図上の点と点を結ぶ行為がとにかく面白かったのだ。
高校生になって、ぼくは自転車からオートバイに股がるようになった。
手に入れたのは50ccのオフロードモデルのオートバイだった。
これで一気に行動範囲が広がった。
ぼくは土日を利用し、より遠くへ出かけることに夢中になり、休日を待ち望むようになっていった。
246号線や20号線を走ることが多かったけれど、1号線も相変わらずよく走った。
オートバイを持っていた同級生の間では、峠を攻めてタイムを競い合うことが流行っていたけれど、ぼくのようなツーリング指向の人間はほとんどいなかった。
だから出かけるときはいつもひとりで、気ままにハンドルを握り、遠くへ出かけた。
高校生になると、事前に決めた道をただ走ることはなくなった。
行き当たりばったりの面白さに気付いたのだ。
それでも教科書より地図を眺めている時間のほうが多かったかもしれない。
写真学生となってから、ぼくは川を守る活動へ積極的に参加するようになった。
当時、川を守るということは、計画中のダムに反対の意を唱えることであり、その代表格が長良川河口堰だった。
あるとき、仲間内でふと漏らした言葉によって、都内から長良川まで歩く羽目になった。
それは瞬く間に「徒歩大行進」と名付けられ、都内で開催される長良川河口堰に反対する1000人規模のデモの後、現地まで歩き、デモ参加者の想いを現地へ届けるといった主旨となった。
言い出しっぺのぼくはとうぜん参加せざる得なくなり、当初考えた大人数で歩くことは厳しいとのことだった。
ただ心優しい仲間たちが、途中サポートをつけてくれることになった。
仕方ない、歩くしかないかと、高揚感と諦めが交互に襲ってくる不思議な気分のまま、季節は10月に入り、デモを迎えた。
1991年10月6日。デモのスタート地点である港区の芝公園に到着すると、すごい人の数に驚かされた。
主催者発表で5000人を越える参加があったことを後で知った。
参加者を見渡すと、自分を想いを書きなぐったプラカードを持つ方やパドルや釣竿を携えている人も多かった。
老若男女の職業も指向も多様な集まりだったけれど、「長良川に河口堰はいらない」という想いは参加者すべてに共通していた。
もちろん、ぼくも自分の頭で精いっぱいに考え、長良川に河口堰はいらないと思っていた。
デモは大きな混乱も無く、無事に当初の予定を終えた。
そしてその後、友人たちと建設省の建物まで歩き、簡単な意見表明みたいなことを行い、「徒歩大行進」が始まった。
といっても建設省から歩きだしたのはぼくひとりで、大勢に見送られての出発と、ひとりぼっちということで、とても複雑な心境のまま霞ヶ関から1号線へ踏み出したのだった。
当初はゆっくり歩き、途中気に入った場所があったらスケッチでもしようと考え、背中のザックには絵具も入れていた。
でも、これがとんだ勘違いで、ぼくの知らないところで記者会見や申し入れなどのセッティングがなされ、名古屋や現地到着の日付や時刻が決められていった。
これでも一応抗議活動なので、その指示に従うしかなかった。
自由な時間がないことでふてくされもしたけれど、いろいろ気にかけて大変な準備と根回しをしてくれる方がいることに、嬉しくも励みになった。
東京から長良川までは、約400km。
ぼくはこの行程を11日間かけて歩き、無事に三重県の長良川まで辿り着いた。
行程のうち7日間も雨に降られるという最悪の状況だったけれど、現地で地元の人たちに迎えられたときは、やっぱり歩いて良かったと「徒歩大行進」を行った悔いや後悔はまったくなかった。
じつは途中、あんまり雨がひどいので、バスに乗ってしまおうかと何度か思ったりした。
バス停の横を通り過ぎるたびに時刻表と時計を照らし合わせ、ここで10分以上も待つならば次のバス停までいけるかなと歩き出し、そんなときは大抵においてバスに追い越され、幸か不幸かバスに乗るタイミングがなかなか来なかっただけなのだ。
いまでも1号線を走ると、様々なことが思い出され、年齢の違うそれぞれのぼく自身に再会できるような気がする。
そして最近では1号線と同じくらい、国道55線がぼくにとって大切なものになりつつある。
August 15 | Comments(0) | TrackBacks(0)

昨夜は高知空港に近い物部川の河川敷へ車を停め、就寝。
たっぷり寝た後、空港でリンさんコマさん、そして「川の学校」卒業生のサトシと合流し、仁淀川上流へ。
少年たちと釣りをし、のんびりとした一日を過ごす。
August 16 | Comments(0) | TrackBacks(0)

仁淀川でサトシと別れ、講師のリンさんコマさんと「川の学校・2回目」開校地である高知県本山町へ向かった。
先月は台風来襲のために中止となったため、子どもたちとは2カ月振りの再会。
早速現地へ到着した子どもたちが、待ち切れないとばかりに川へ飛び込んでいった。
今日からの3日間は、忙しくも楽しい日々になりそうだ。
August 17 | Comments(0) | TrackBacks(0)

初日の夕食は、子どもたちに人気の野菜カレー。
もちろんぼくも大好きなメニュー。
身体全体で目一杯遊んだ子どもたちは、夕食の合図前に食器片手にウロウロ歩き回り、待ち切れない様子。
もくもくと食べる子がいれば、友だちと楽しそうに食事する子、のんびり食べる子がいて、食事の光景だけでも見ていて飽きることがない。
明日も目一杯遊ぼうね。
August 17 | Comments(0) | TrackBacks(0)

今日は川遊びの前に全員で早明浦ダムへ移動し、地元の方の話を伺った。
午前中にもかかわらず、外はすでに30度以上の暑さ。
今と過去とが混ざり合いながら語られ、子どもにはちと退屈かもしれないとは思ったものの、ぼく自身はとても有意義な内容だった。
湖面に沈んだ故郷について語るときや、ダムが出来る以前の川のことを話すときは、それまでの表情と違って活き活きとした面持ちで話されていたのが印象的だった。
いわく「昔(ダム完成以前)は、川に鮎がきたないほど(覆いつくすほど)いた」と話し終わると、きっとその情景が頭に思い出され顔がほころんでしまうんだろうな。
また「自分が慣れ親しんだ川で採った魚じゃないと、なんか美味い気がしない」や「やっぱり最後には自分の川へ行きたくなる」「でも、もう故郷は戻らない」という言葉には、胸が熱くなった。
失ったものは、そう簡単に元には戻らないし、戻せない。
だから失う前に、よく考えることが大切なんだ。
失うだけの価値があるものなのかを。
August 18 | Comments(0) | TrackBacks(0)

日没後は河原に座って、講師の話をだまって聞く夜話の時間。
今夜は姫野さんが子どもたちにわかりやすい言葉で、川について、川の学校について語りかけた。
神妙に聞く子がいれば、最初から最後まで足元に目を落としている子、あくびを堪えている子も。
でも、ひとはみんな違う。
想いの受け止め方や届き方も、ひとそれぞれ。
話された内容やすべての体験を事細かく覚える必要はなく、なにかの折りにふとそうだったのかと思い出してもらえればいいんじゃないかな。
August 18 | Comments(0) | TrackBacks(0)

楽しかった時間はあっという間に過ぎてしまい、今日は最終日。
夜更かしをして寝坊する子がいれば、遊び足りなくて5時前に起き出す子もいるのが「川の学校」。
そんな子どもに口では文句をいっても、子どもがやりたいことをちゃんと理解してサポートするスタッフがいるのが、この学校の素晴らしいところだと思っている。
August 19 | Comments(0) | TrackBacks(0)

昼過ぎに子どもたちは後ろ髪を思いっきり引かれながら帰っていった。
この3日間は天気にも恵まれ、子どもたちの歓声が絶えることなかった。
大人のぼくでさえ充実とした日々だったのだから、子どもたちにとっては忘れられない体験になったのだろうな。
生まれて初めて釣りをした女の子が、自分の手のひらよりも大きい魚を釣り上げた際、喜ぶよりも戸惑っていたのがおかしかった。
釣りキチ、ひとり誕生の瞬間かな。
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今日は休日と決め、9時過ぎまで眠りこけた。
その後、清冽な流れの吉野川支流で汗を流し、文庫本を相手にのんびりとした時間を過ごした。
ひとしきり降った夕立後の空気が気持ちいい。
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高知県本山町から地蔵寺川に沿って国道439号線を走り、再び郷ノ峰トンネルを潜って仁淀川へ移動。
だけど、まったく「川ガキ」を見つけることができなくて、途方に暮れた。
しつこいぐらいに川沿いに車を走らせるも、ガソリンだけが景気よく無くなっていく感じ。
こんなときはつい弱気になり、ガソリンと距離と財布の中身ばかり頭に浮かんで仕方ない。
貧乏臭いけど「あー、いまの寄り道で145円のロス」とかね。
August 21 | Comments(0) | TrackBacks(0)

青い空を川面に映し、ゆったりと流れる仁淀川。
澄んだ流れに、岩を食む鮎の姿。
蝉しぐれが林間にこだまし、容赦ない日差しが肌を焼いた。
盛夏まっただなか。
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仁淀川の河原に車を停めて、昨夜は就寝。
携帯コンロでお湯を沸かし、川を眺めながらコーヒーを飲んだ。
川で顔を洗い、ヒゲを剃り、歯を磨き、河原を後にした。
ぼくのようにアチコチ出かける身にとっては、いまの車は本当に便利。
単純に宿代が掛からないということもあるけれど、ぼくが出かけるところは宿がないところも多く、また宿があったとしてもそこまでの移動や宿探しをする手間も省けるので、正直助かっている。
こう毎晩野外での宿泊が続くと、そのたびにテントを張るのも億劫だろうし、キャンピングカーにして正解だったなと思う。
August 22 | Comments(0) | TrackBacks(0)

今日は数日前に出会った「川ガキ」のお宅を伺い、川で遊ぶ様子を撮影させていただいた。
途中、遠くで雷鳴が轟き、水の匂いを含んだ風が吹いたと思ったら、土砂降り。
子どもたちは突然の夕立に戸惑いつつも、大喜び。
おかげで良い写真が撮れた。夕立に感謝。
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昨日のうちに仁淀川から四万十川上流へ移動し、昨夜は窪川に近いところで就寝。
朝靄に包まれる川面を眺め、大きく深呼吸をした。
気持ちのよい一日のはじまり。
四万十川に沿って車を走らせ、土佐大正で本流に注ぎ込む檮原川を少し遡った。
本流、檮原川とも、水量は驚くほど少ない。
檮原川から支流の中津川へ入り、お気に入りの場所に車を停め、竿を取り出した。
昨夏、この川で「玉シャクリ」を行い、程よいサイズの鮎をそこそこ釣り上げたのが忘れられなかったのだ。
ぼくは「玉シャクリ」と呼んでいるが、高知では「ポン掛け」と呼ぶほうが一般的なようだ。
地域によって呼び名は変わり、「寸胴シャクリ」と呼ぶところもあるみたい。
仕掛けは簡単で、硬調の短い竿を使用。
ぼくが使っている竿は、高知県内に数店舗ある「かつら釣具」で購入したオリジナルの「ポン掛け」専用竿で、長さは2.4m。
ただ専用竿でなくても、短くて硬い竿ならば使用可能。
その竿先から伸びたラインの先端には名前の通り、錘をひとつ括りつけて、友釣りで使う掛針を錘上部に2つか3つほどつけたら完了。
箱眼鏡などで水中を泳ぎまわる鮎を探しては、これらの仕掛けを使用し、引っ掛けて釣るのが「玉シャクリ」。
この釣り方の一番の特徴は、泳いでいる鮎を実際に眺めながら釣るということ。
そのためある程度の透明度が確保されていないと、釣りにすらならない。
意外にも、3メートル先の岩や鮎をハッキリと見通せる川は、残念ながら少ないと言わざる得ない。
山奥やダム湖に注ぎ込む支流には綺麗な流れが珍しくはないけれど、鮎がいないことには話にならない。
見方を変えると「玉シャクリ」で釣り上げられることの出来る鮎は、味も絶品。
実際に昨夏、四万十川本流と中津川で捕まえた鮎の味比べをしたところ、想像以上の違いに驚いた。
しかし、ただ泳ぎまわる鮎を引っ掛けるのは、そう簡単なことじゃない。
やはり流れのなかで、ちゃんと岩についている鮎を狙わないと、素人ではそうそう釣れない。
でも困ったことに、日和佐川でも仁淀川でも、ここ中津川でも、ちゃんと縄張りを持って岩についている鮎がなかなかいない。
よく探せば見つけることができるんだけど、昨年と比較すると比べものにならないくらい少ない。
鮎自体も、数が少ないように思える。
なので、この日も苦労した割には、2時間で6匹しか釣れなかった。
昨夏の釣りと中津川についてはこちらを。
August 23 | Comments(0) | TrackBacks(0)

見下ろす四万十川は、水量が少ないわりには透明度がそこそこ良かった。
といっても、3メートルぐらいの深さで川底がやっと見えるくらい。
昨夏よりもだいぶマシに見えるけど、実際はどうなんだろう。
今月上旬に来襲した台風5号以降、まとまった雨が降っていないという。
コケがびっしりと生えた川を歩いたけれど、気をつけないと転倒しそうなほどヌルヌル状態だった。
August 23 | Comments(0) | TrackBacks(0)

中津川で「玉シャクリ」を堪能した後、昨夏にいろいろお世話になったSさん宅へ向かった。
夕食をご馳走になり、Sさんと川の話で盛り上がっていると、時計の針は22時を指し、子どもたちはお寝んねの時間に。
蚊帳へ入って、お母さんに絵本を読んでもらい、夢の世界へ。
なんかいいなぁ。
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昨夜は遅くまでSさん宅でくつろいだ後、口屋内へ移動。
広い河原に車を停め、民宿「せんば」に突然顔を出して驚かせ、午前2時過ぎまでお酒を飲んだ。
そのせいもあり、目覚めたのは9時過ぎ。
見上げる空は真っ青で、夏の日差しに溢れてた。
August 24 | Comments(0) | TrackBacks(0)

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江川崎の雑貨屋で鰻鋏を購入し、再びSさん宅へ出かけた。
今夜はSさんと鰻を捕るぞと張り切るものの、少し不安。
Sさんの帰宅を待つ間、元気な子どもたちに相手をしてもらい、楽しい時間を過ごした。
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この日、昨夏に引き続き、四万十川支流にあるS小学校の川遊びを撮影させていただいた。
2年目とあって、生徒だけでなくお父さんやお母さん、先生方とも顔なじみとなり、和気あいあいと撮影することができました。
川遊びの後は、みんなで料理したカレーを美味しくいただいた。
今年の全校生徒は11人。
この先、統合の話があるとかないとか。
来年も機会をつくり、ぜひ伺いたいと思っています。
August 26 | Comments(0) | TrackBacks(0)

August 27 | Comments(0) | TrackBacks(0)

夕立があがり、川舟が浮かぶ川岸へ向かった。
雨に濡れた河原はひんやりとした空気が漂い、火照った身体に心地よかった。
川岸には3艘の川舟が繋がれ、漁の準備が始まったところだった。
日没後、口屋内集落で今季初めてとなる火振り漁が行われるのだ。
網の手入れが行われ、火振りの光源に使用するバッテリーが舟に乗せられていった。
太陽はすっかり山の向こうへ姿を消し、かわりに現れた霞が山肌を覆っていった。
闇が深まるにつれ、ヒグラシの鳴き声も少なくなっていった。
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闇に覆われる少し前、ひとりが親となって「くじ引き」が行われた。
用意された小石は全部で6つ。
石の裏にはチョークで1から3までの数字が2つずつ記されていた。
親をのぞく舟主が、上手と下手に分けられた固まりから小石をひとつずつ選び、この日の刺網を入れる場所を決めるのだ。
刺網を入れる場所によってその日獲れる鮎の量に違いがあるため、口屋内集落ではこれまでずっとこのやり方で火振り漁を続けてきたという。
火振り漁を行うにあたっても仲間内の話し合いで決められ、漁をする際は「集落」として行い、口屋内集落ではひとりで勝手にする漁ではないとのことだった。
昔は火振り漁をするとなると10艘以上も川舟が集まり、それはそれは賑やかだったという。
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空を見上げると、夕立を降らせた雲は姿を消し、星が輝き始めていた。
闇が川面を覆うと、いよいよ漁のはじまり。
川舟は川岸を離れ、ゆっくりと流れに乗った。
河原の草むらから響いてくる虫の音に、櫓に触れる水音が混ざりあう。
漁場へ到着すると上下流に30mほどのあいだを開けて並び、それぞれ声を掛け合い、同じような速さで右岸から刺網を入れていった。
使用する刺網の長さは50mほどで、3つの網を繋いでいるという。
1カ所の漁場につき、2枚の刺網を使用。
この日は3艘だったので、流れを横断する形で、6枚の網が川のなかへ入れられていった。
すべての網を入れ終えた川舟は下流に移動し、これからが本番。
舟の舳先とまん中に取り付けられた電球に灯りをともし、竹竿で水面を叩き、川舟はなるべく鮎を驚かせながら上流へと向かい、最上流にある刺網まで漕ぎ進んで行った。
網を仕掛けるのは各自の仕事だけれども、鮎を追うのは共同作業。
行く手を塞ぐように何枚も刺網を仕掛けた後、光と音で鮎を驚かせ、鮎を捕らえていくのが火振り漁なのだ。
同じ四万十川本流でも、土佐大正などでは現在も松明を使用して火振り漁を行ってはいるが、口屋内では10年と少し前から電気の照明に切り替えたという。
漁が中盤にさしかかるころ、東の山からまんまるの月が顔をのぞせた。
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この日は、2カ所の淵で火振り漁が行われた。
網にかかった魚を見せていただくと、一般的には海水魚と言われている魚種も獲れていた。
この日獲れたスズキやシマイサキ以外にも、ギンガメアジや黒鯛も刺網にかかるときがあるという。
ちなみに漁が行われた場所は、河口からおよそ34km上流。
スズキは更に上流へ上ることもあり、ちょうど先日、河口から52km上流にある長生沈下橋で獲らえられた50cmのスズキを見たばかり。
淡水魚では、鮎のほかにウグイやカマツカなどが獲れていた。
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今朝は5時頃に目覚め、少しずつ明るくなっていく空を眺め楽しんだ。
ススキが似合う涼しい風を身体に受け、夏が終わったことを知った。
ここらへんが潮時かな。
そう思い、今夜四万十川を離れ、自宅へ戻ることを決めた。
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民宿「せんば」で晩飯をご馳走になり、子どもたちが寝室へ向かったのを見届けて、口屋内を後にした。
空に浮かぶのは、まんまるの月。
昼間に見当をつけていた場所を転々と移動しながら、月明かりに照らされる四万十川の撮影を行った。
鹿の鳴き声が夏の終わりを告げていた。
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昨夜は明け方近くまで撮影を続け、土佐大正の河原で就寝。
昼近くまで眠った後、再び中津川へ鮎を釣りに出かけ、汗を流した。
2時間ほど身体を水に濡らして竿を振り、釣果は7匹。
でも心身ともに満足することができ、一路東京を目指した。
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夕立ではなく、まとまった雨を浴びるのは1カ月以上ぶりのこと。
水に煙る名神・東名をのんびりと走り、横浜青葉ICで高速を降りたときには、すっかり日が暮れていた。
途中、実家へ寄って、昨日釣り上げた鮎を届けたりして、帰宅したのは22時過ぎ。
トリップメーターを見ると、約3000kmの旅だった。
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July 2007・September 2007
